誕生寺(法然上人ご誕生の地)②
〒709-3602 岡山県久米郡久米南町里方808
今回は法然上人がお生まれになった誕生寺にまつわる七不思議を中心にお伝えできればと思います。
1.逆木の公孫樹(さかぎのいちょう) :法然上人15才旅立ちの時、那岐(なぎ)の菩提寺(ぼだいじ)の公孫樹の杖を地面に挿して比叡山に出発されました。その際、公孫樹の杖を逆さに挿したため、枝が上から地面を這うように根付いたと言われています。(境内)
- 御影堂の宝珠(みえいどうのほうじゅ):御影堂の屋根の中央にある宝珠。この宝珠の方角が西方浄土にあたります。(境内)
- 御鏡(みかがみ):母、秦氏君の涙のあとが残る手鏡。法然上人との別れを悲しまれた母の涙のあとが残っている銅鏡。涙が落ちた後は人の顔を映さなくなったと伝わっています。(宝物館)
- 石仏大師(いしぶつだいし):法難を予告した石像。天正六年当時の住職であった深誉上人は、片目川より光る法然上人の石像を発見し手にしたところ、光は消え失せます。何か異変が起こると感じ、その像を産湯の井戸に沈め隠された。その直後、豪族の襲撃により御影堂は破壊されたが、幸いその石像は災難を免れました。(御影堂脇壇)
- 黒こげの頭:法然上人のお顔だけは焼けなかった文楽人形。大正15年11月27日の夜、大阪文楽座の大火で、不思議にも法然上人の人形の顔の部分だけが焼ける事なく神々しく残っていました。それ以降、文楽座では「法然上人恵月影(めぐみのつきかげ)」の人形芝居を上演しなくなりました。(御影堂脇壇)
- 椋(むく)の御影(みえい):法然上人の御影跡が残る椋の真木。法然上人御誕生の際、二つの白幡が飛び来て椋の枝に掛かった。その初代の椋が枯れた時、真木より上人のお姿が昇天したという。その跡影。(客殿)
- 人肌のれん木:法然上人の肌の温かさを保ちつづけているれん木。15才の法然上人が比叡山に旅立つ際、身体を暖めるために母に与えた、孝養(こうよう、)の銀杏れん木。法然上人自らの肌の温かさを保っていると云う。(客殿)
注目したいのは、1の山門入ってすぐのところにある銀杏の木です。15才の時に比叡山へ旅立ちの際の杖がこの木の由来ですが、なぜ法然上人が旅立つこととなったのでしょうか。
それは法然が9才の時に、父である漆間時国(うるまときくに)と反目していた敵の源内武者明石定明(あかしさだあきら)の夜襲にあい、父・時国は非業の死を遂げます。その父が臨終間際に、少年の法然上人を呼び寄せ、決して仇を討ってはいけない。仇は仇を生み、憎しみは絶えることがなくなってしまう。それならばどうか、全ての人が救われる道を探し、悩んでいる多くの人々を救って欲しいという遺言を残し、息を引き取りました。その後、母方の叔父の僧侶・観覚のもとに引き取られましたが、その才に気づいた観覚は、出家のための学問を授け、当時の仏教の最高学府であった比叡山での勉学を勧められて比叡山に行くことになったそうです。
漆間時国の言葉は現代でも通じる金言(きんげん)です。現代では夜襲にあったり仇討ちをすることはありませんが、恨んだり憎しんだりしてはならないということの戒(いまし)めとして心に留めておきたいです。