高山別院照蓮寺(真宗大谷派) 岐阜県高山市鉄砲町6
照蓮寺(真宗大谷派) 岐阜県高山市堀端町8
岐阜県出張の際に岐阜県高山市にある2つの照蓮寺様におまいりしてきました。15年程前の2003年に一度おまいりしたことがありましたが今一度確認したいと思い訪問してきました。
まずは高山別院に車を止めて別院におまいりです。山門横から入り駐車場に車を止めて先に駐車場代800円を受付で支払い改めて山門から入ります。山門は唐破風の立派な門で正面上部には山号である「光耀山」の扁額が掲げられています。その山門の横には2019年の5月10日から12日まで親鸞聖人750回忌法要が厳修されると書かれた駒札が立てられていました。山門を入って行くと本堂が前面に見えますがその手前にこの高山別院の開基である嘉念坊善俊上人と刻まれた石碑があります。その横には由緒書があり簡単に要約しますと「善俊上人は後鳥羽天皇第12の皇子で承久3(1221)年8歳の時に天台宗の園城寺(三井寺)に入って僧となりました。寛喜3(1231)年関東から上洛中の親鸞聖人に箱根で出遇い、弟子となり嘉念坊善俊の名を賜られました。その後、祖師聖人に常随し師の命を受け教化の旅に出て京都から北陸に向かう途中で美濃白鳥に逗留され、帰依するもの数知れず北濃一帯に真宗が広まりました。
照蓮寺は天正16年(1588)高山城主金森長近公の命によって高山の地に移されましたが真宗の教えは飛騨一国にひろがりいわゆる真宗王国を実現するにいたりました。」と刻まれています。飛騨にとっては善俊上人がいかに功績があったかを伺い知ることができます。
そしていよいよ昭和39年に再建された鉄筋造りの本堂におまいりします。本堂は妻入で雪対策として床を高くされています。中に入ると妻入の本堂の特徴である奥行が深くなっており正面欄間に「照蓮寺」と彫られた扁額が掲げられています。欄間は東本願寺御影堂と同じ天人の彫刻がはめ込まれています。祖師側には真向きの親鸞聖人御影の掛軸が安置され、向かって右側の余間には善俊上人の掛軸が掛けられています。そしてふと左手に目をやると「中村久子展」をしておられたので見学してきました。中村久子女史はご存知のように両手両足を失いながらも自立した女性で、ヘレンケラー女史とも交流のあった方です。高山市内の真蓮寺様という大谷派のお寺のご門徒で、たいそうご聴聞され暁烏敏先生花山信勝先生などの話を直接聞かれ、特に同朋舎出版を設立された足利浄圓先生の元には瀬戸内海の生口島まで4~5回訪問されたそうです。次回は照蓮寺様の訪問記をお伝えします。