上宮寺様(大谷派)
愛知県岡崎市上佐々木町梅ノ木34番地
今回は、お得意様の紹介で愛知県岡崎市の上宮寺様にお参りしてきました。
事前に連絡していましたので、副住職である若院様が丁寧にご案内してくださいました。まずは庫裏でパンフレットをいただき、聖徳太子が仏法興隆のために全国を巡行され、この当地で霊樹を見つけられ、その霊樹にて自らの像を作られ、一宇を築かれて、後に天台宗となりましたが、23代住職の蓮行が親鸞聖人と出遇うことによって親鸞聖人に帰すことになったそうです。このようないきさつから上宮寺と名付けらたようです。
次に本堂に向いました。本堂は近代的な建物で昭和63(1988)年の火災より再建されました。この本堂はインドの精舎をイメージして設計されたそうで、お寺の設計は初めての方に依頼されたそうです。そのため本堂正面上には「上宮精舎」と書かれた扁額がはめこまれています。
本堂に入ると椅子式にで、向かって右の余間に聖徳太子像があり、その左には親鸞聖人が安置されています。聖徳太子像も火災で焼失したそうですが、焼失する前に修理をした仏師さんが聖徳太子像の図面を正確に採寸されていたらしく、その図面を元に再興されたようです。沓(くつ)がかろうじて残っていたので、それを体内に入れられたそうです。
そして2016年に親鸞聖人750回忌法要を記念とし、親鸞聖人像を新調され京都の東本願寺本山からこの地まで徒歩で2週間かけて運ばれました。
また向かって左側の壁には親鸞聖人とこのお寺の開基である一如上人の二連座像の大きな写真が飾ってあります。これは実際には掛軸があるそうですが、貴重であるため、大きく複製したものを本堂内に掲げておられるようです。上段は蓮如上人、下段はこの上宮寺第30代住職如光だそうです。この如光という方は、当時の大谷本願寺が比叡山より弾圧され、親鸞聖人の御真影も奪われた時に、単身比叡山に乗り込み、相撲をとって勇力を見せつけ、御真影を取り戻したそうです。また、別の記録では比叡山に多くの礼銭を送り蓮如上人の危機を救われたそうです。そのような功績から御真影の裏に「三河如光ノ寄進」と記し、この掛軸を蓮如上人から贈られたそうです。
次に宝物館を案内していただきました。数ある宝物の中で特に印象深かったのは、佐々木月樵先生の肖像画です。自分も大谷大学を卒業した身ですから3代目学長のお顔を拝顔すると身が引き締まる思いです。佐々木先生は清沢満之先生を師と仰ぎ、私塾「浩々洞」にも参加し「精神界」の発刊にも尽力しました。文部省の欧米視察でも宗教分野の代表として私立学校からの唯一の団員として参加したそうです。三河一向一揆の三ヶ寺、他の本證寺、勝鬘寺もおまいりできればと思います。