浄土真宗ご旧跡めぐり/香華堂報209号[2017,06/01発行]

広島別院 浄土真宗本願寺派・・・広島県広島市中区寺町1−19

広島に旅行しましたので、まずは本願寺派の広島別院にお参りしました。広島駅に新幹線で到着し、各停止まりのJR普通電車に乗り換え横川駅に到着、そこから南に10分程歩いたところに別院はありました。回りもお寺が多く、住所を見ても寺町となっているので、元々多い地域なのですね。別院は鉄筋の本堂で門をくぐると空にそびえる三角形の大屋根が出迎えてくれます。ご存知のように昭和20年(1945年)8月6日広島市に原爆が投下され、この広島別院もすべての堂宇が焼失しました。再興された本堂を見上げると、よくぞ再興されたなと思いつつ多くの方々のご苦労や想いがこの本堂にはつまっているように思いました。境内には他の別院以上に、いくつもの忠魂塔や供養塔が立っています。

本堂に入ると、椅子式の近代的な様式で内陣もきれいに荘厳されています。参拝の栞によると、平成23年に大ホールを備えた門徒会館が完成し安芸門徒の中心道場として完成したようです。

またその栞には、元龍谷大学の学長をされていた信楽先生の興味深い一文が載っていました。表題は「安芸門徒の伝統」。(「芸藩通志」という幕末にできた安芸藩の文化や政治・経済全般にわたる調査資料の中で安芸の国の真宗信者は「家に神棚をおかず、病んで祈祷せず、墓をたてず、位牌もおかない」それが真宗門徒の習俗だというのです。

また別の記録によりますと、安芸の国では間引きをしなかった。赤ちゃんを殺さなかった。だから昔から人口が過多であったので、隣の岡山県へ「作州かせぎ」、「津山かせぎ」という出稼ぎがさかんでした。そして近代になると、海外移民としてハワイ、ブラジルにいきました。

戦前、広島市内の中学校にお世話になっていた頃には毎月16日の親鸞聖人の御命日に全広島市内にわたって魚屋も肉屋もすべて休業し精進していました。この広島では真宗信心が盛んであり、それが日々の生活までに浸透し、生かされていたのです。)

うちの家も真宗門徒ですが私が小さい昭和50年代までは家の仏壇に位牌が置いてありました。それが幕末の頃には位牌を置かないなどの真宗門徒としての教えが徹底されていたことに驚くと同時にその教えが全国に広まったのではないかと思いました。

おまいりを済ませ、広島名物の路面電車で厳島神社に向いました。広島の路面電車は各地の電車が走っており、京都のべージュとグリーンのツートンカラーの電車を見た時は懐かしさで感動しました。次の日は原爆資料館や原爆ドームを見学しましたが、小学生の息子には刺激がきつかったようです。次の日は呉の大和ミュージアムを見学し充実した2日間となりました。