姫路船場別院本徳寺 真宗大谷派・・・兵庫県姫路市地内町1番地
前回の亀山御坊本徳寺様を後にして山陽電車亀山駅から山陽姫路駅に戻り、船場別院様には徒歩で向かいました。姫路にはいくつかの屋根付アーケードがあり、そこを通って向いました。正月なので、閉まっているお店が多かったですが、色々特色のあるお店があってこれも各地を訪れる面白味でもあります。アーケードを抜けると、船場川に出て小さな橋を渡り右手に曲がって行くと、仏壇屋さんがあります。本山や別院の近くには必ずと言っていい程、お仏壇屋さんがありますね。さてその仏壇屋さんを左に進み程なく行くと船場別院が見えてきます。本堂は典型的な真宗本堂の形式で入母屋造りの平入りです。説明板によると十七間四面あるそうです。境内は広く近所の親子連れが凧揚げされていました。まずは本堂に入りお参りです。本堂は大きく中も虹梁や長押も金箔押しされていてきらびやかでした。また本堂上には「本徳寺」と書かれた額がありその左端には「熾仁(たるひと)書」と書かれていたので、後日調べて見ると、江戸から明治にかけて活躍された有栖川宮熾仁親王によるものでした。これは明治二十一年に有栖川宮熾仁親王がここ船場別院の逗留した際に当時の住職が所望し揮毫してもらったようです。
外に出ると大きな石碑がありそれには「行在所(あんざいしょ)」と刻まれていました。この文字は明治天皇がここで休憩されたことを示します。この行在所は、本堂北側に未だ現存しています。また本堂・表門・鐘楼・大玄関の4棟は市指定の文化財に指定されています。また表門の元禄九年の石灯籠も同様に指定されています。
亀山本徳寺から東西分立で分かれたここ船場別院は興味深いことに「轉亀山(てんきざん)」という山号です。まさしく亀山から移ったことを示す山号だと思います。
境内には第1次世界大戦でドイツ人が捕虜になっていたこともあり、その捕虜がつくったとされるドイツのお城(望郷塚)があります。また、ここは姫路の教育機関としての役割もにない、姫路で初めての中学校がこの境内にあったそうです。現在も境内に船場御坊幼稚園があり、その意志が受け継がれています。姫路は姫路城を中心に活気のある町です。船場別院も2014年に門徒同朋会館も新築されより活動的になっています。姫路城を中心に歴史を探訪しに訪れるのはいかがでしょうか。