浄土真宗ご旧跡めぐり/香華堂報190号[2016,11/01発行]

大谷派 西性寺様 ~親鸞聖人流罪船乗場の地

新潟県糸魚川市木浦3779

誠照寺派 車の道場 ~親鸞聖人流罪お立ち寄りの地

 福井県鯖江市日の出町7−1

親鸞聖人が承元の法難により越後へ流され上陸された上越市の居多ヶ浜は、石碑が立っていて訪れた方も多いと思います。しかしながら、上陸された場所があるなら船を乗られた場所があるに違いないと思っていましたが、以前から糸魚川市の「木浦」という地名が分かっていただけでしたが、糸魚川のお寺様に納品があり、お聞きしましたら、「親鸞聖人が船を乗られた場所はここから2~3キロ離れた西性寺様の向かいの海辺からだよ」といわれ、納品前に立ち寄ることにしました。訪問した日は天気もよく海岸沿いの道を走るのはとても気持ちのよいものでした。新潟方面(北側)から向かったのですが大きな本堂が見えてきて、その気持ちよさにナビをしているにもかかわらず思わず通り過ぎてしてしまいました。Uターンしてお寺の近くに車を止め、海岸側の道から門前に向かいます。門前には寺号と、歴史を感じる石碑「親鸞聖人御舊跡」があり、ここがまさしく親鸞聖人がここから乗られたことを示すものであると確信し、一安心しました。境内に入ると本堂は大きく、その上本堂自体も海風にさらされ、内陸にある本堂に比べ少し白っぽいです。それが、よけいに流罪になられ、京都を出て各地を回られ、親不知子不知の難所を越え、ここにたどり着かれた壮絶さを表しているように感じました。

聖人は、ここに来るまでには滋賀県の西明寺や福井県鯖江市の「車の道場」に立ち寄られたとなっていますが、以前福井出張の際にその「車の道場」に行ってお堂などを写真に収めていましたので、そのご紹介も合わせてしたいと思います。車の道場は福井四箇本山の一つである誠照寺が管理されています。本山誠照寺の南に位置します。小高い山を登っていくと左手に「親鸞聖人ノ旧跡 車ノ道場」と刻まれた石碑があります。その横には「本山 誠照寺 上野別堂(うわのべつどう)」の石碑があり、ここが本山の飛地境内ということがわかります。なぜ車の道場と呼ばれるようになったかというと、流罪で越後に向かわれる際に、近くを通られた聖人を地元の豪族波多野氏に呼び止められ聖人の教えに深く帰依し、後に念仏の道場となった場所とされたようです。当時流人は板敷の輿の上に乗せられていたようですが、郊外に出る時は車を付けたので「車の道場」と呼ばれるようになったようです。石碑のあるところからさらに階段を上っていきます。数十段ある階段を上ると、正面にお堂が見えてきます。2011年5月3日には親鸞聖人750回御遠忌法要の初日にここで法要が営われ、本山誠照寺まで提灯行列が行われて当時の親鸞聖人の足跡をたどられたようです。

親鸞聖人のご旧跡を訪れると、京都から離れたところもあり車で行くにもたいへんだと思うことが多々あります。それを聖人は歩いて行かれたことを思うと想像を絶します。当時を偲び、旧跡に触れることでますます親鸞聖人のお人柄を感じることができます。