大谷派 岐阜別院

 住所 岐阜県岐阜市大門町1番地

 今回ご紹介するのは大谷派 岐阜別院です。岐阜は美濃和紙が2014年にユネスコの世界無形文化遺産に認定されたように和紙が伝統産業であり、その関連産業として提灯も福岡の八女提灯と並んで岐阜提灯が二大生産地であります。東別院はそんな伝統的な提灯屋さんが多くある地域のすぐ近くにあります。

さて本堂向かって左側に保育園があり、そこから入りました。いつものように車を止めて、山門から入り直します。山門外の車道まで出ると、周りに多くのお寺があり、寺内町という感じです。その中で、一軒木造の芭蕉像のあるお寺がありました。拝観はできませんでしたが、案内板をみると安置されている木造芭蕉像は、没後82年目に地元の皆様により建立されたものだそうです。像高57センチの杉材の寄木造で量感に富み、その木目は美しく、伊賀上野にある俳聖殿の芭蕉像に次ぐものといわれているそうです。岐阜市の重要文化財に指定されています。さて山門から本堂に向います。本堂は、山に抱かれていてロケーションが素晴らしです。本堂両側には桜の木が植わっていましたが、訪問した時はだいぶ散っていました。

岐阜別院は案内によると、「1601(慶長6)年、美濃国各務原加納村(各務原市那加新加納)に陣屋を構えていた旗本坪内惣兵衛玄蕃が、本願寺十二代教如上人に寺地を寄進して堂宇を建立し、領内および近在の門徒の道場としたことに始まる。1624(寛永元)年、厚見郡小熊村の門信徒の願いによって、十三代宣如上人は寺地を現在地に移し掛所とした。そのために開基を宣如上人としている。」となっています。1925(大正14)年10月には、二十三代彰如上人 (句仏)を迎え、宗祖親鸞聖人六百五十回御遠忌を厳修し、「近郷近在の善男善女の参詣引きもきらず、その数は数万人に達した盛儀であった」そうです。その時の句仏上人の句碑「山を出でし、真如の月を拝しけり」が境内にあります。

本堂に入ると法要前のご準備でしょうか、老松真で花を活けられているおひとりの僧侶がいらっしゃいました。中に入ると、注目すべきは外陣向かって右側にある聖徳太子像です。聖徳太子像では珍しく座像です。説明によると、「1770(明和7)年作の座像の勝鬘経講讃太子像である。1895(明治28)年に奈良法隆寺から授与されて裏山の堂に安置されていたが、1928(昭和3)年に別院境内に移された。」となっています。近くの長良川で5月から10月にかけて鵜飼のシーズンとなります。別院におまいりされてからは鵜飼を楽しむというのも一つのコースにされて見てはいかがでしょうか。