大谷派名古屋別院
住所 愛知県名古屋市中区橘2-8-55
名古屋に行く機会がありましたので、真宗大谷派名古屋別院に行ってきましたので、そのご報告をいたします。名古屋別院は名古屋市内有数の広大な境内を有し、東別院という地下鉄の駅まであります。そして何よりも本堂が大きくて圧巻です。
車を境内に止めて、まず山門から入り直します。どこのお寺でもそうなのですが、このようにすれば、山門や他の建造物に気づくことができるので、なるべくこのようにしています。山門は柱間三間ある二重屋根の大きな山門です。名古屋別院は戦争で焼けているので、戦後再建されて鉄筋造なので新しい雰囲気が漂います。その東隣に立っているは近年見かけなくなった太鼓楼です。
境内に入ると、その本堂の大きさに圧倒されます。本堂内に入ると空間の大きさとどこも金箔押しなので、京都の東本願寺の阿弥陀堂を新しくした雰囲気がします。本堂を出るとその横にも大きな本堂のような建物があります。ここは対面所といって毎日の法話が行われる場所だそうです。本堂の反対側(西側)に目を移すと、納骨所や鐘楼などがあります。納骨所は木造で趣がある建物で二重屋根の仏塔です。鐘楼は新しいですが、梵鐘は戦争で焼け残ったようで、江戸時代の元禄年間の鋳造で名古屋市指定の文化財になっています。その南側にはいくつもの石碑が立っています。特に注目すべきは「古渡城(ふるわたりじょう)址」という石碑です。元々別院のあった場所というのは尾張藩二代藩主徳川光友が織田信秀の居城、古渡城があったところを寄進しました。その後、本堂が完成しましたが、名古屋市議会の会場で使われたり、博覧会で使われたりして名古屋の人には馴染み深いものとなっています。それは別院の開基が一如上人なので、毎月ご命日の12日に「一如さん」という法要が営まれ、縁日となって露店がでてにぎわっていることからもうかがえます。石碑にはもう一つ注目すべきものがありました。それは尾張真宗専門学校(現 同朋大学)の創設者である初代学長の住田智見氏の句碑があります。その句とは「白毫の 光尊し 夜半の秋 閑凡夫」。(「閑凡夫」は住田師の雅号)」で秋の報恩講で阿弥陀様のことを詠われたのではないかと思われます。また境内外には下茶屋公園があり、ここは元々別院の庭園だったそうですが、戦争で焼けて今は市民のオアシスとなっているようです。2016年4月にはここ名古屋別院で宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要がおこなわれます。地域の人々にますます愛されていく別院となっていくことでしょう。