特別寄稿【曽我量深記念館】/香華堂報169号[2015,02/01発行]

所在地 新潟市南区味方213番地/笹川邸隣り

新潟に出張に行く機会に恵まれ、少し時間も空いたので前から新潟にあると聞いていた大谷大学の元学長、曽我量深先生の記念館に行ってきました。曽我量深記念館は同じ郷土出身の脳神経解剖学の権威である平澤興氏とともに、地元新潟市南区味方地区が平成3年に開館した記念館で、正式には曽我・平澤記念館といいます。この記念館に入るにはまず地元の豪農、笹川邸を見学します。部屋が多くある豪農のお宅を一通り見学して、蔵などの横を抜け、いよいよ曽我量深記念館が見えてきます。記念館に向かい曽我先生と平澤氏の銅像が立っていました。曽我先生は気性の激しい方と聞いたことがありましたが、その印象の通りメガネの奥にしっかりした性格が伺い知れる銅像で思わず叱咤されているようではっとしました。記念館は近年建てられたもので暖房もよく効いていて、先ほどの笹川邸は足元が少し寒かったのでほっとしました。

入り口を入ると、まず記念館の受付と売店があり、曽我先生の本や書があり見入ってしまいそうでしたが、まずは展示室に向かいます。

曽我先生の略歴ですが、簡単にご紹介しますと、1875年(明治8年)9月5日生まれ、地元真宗大谷派円徳寺の富岡量導の三男として生まれます。1897年(明治30年)に新潟県見附市の浄恩寺の長女と結婚され入寺します。その後、大谷大学に進学し、清沢満之先生が近角常観先生の留守宅で開いた浩々洞という私塾に加入します。その後大谷大学教授に就任し幾多の激動を経て、大谷大学学長にも就任。多大な著書を残し、1971年(昭和46年)6月20日97才で逝去されています。法名は無量院釋量深。展示室は曽我先生の直筆を含めた著書や生前使用されていた輪袈裟や中啓、帽子や杖、メガネが展示されていました。特に私がその展示室で目をひいたのは、私のゼミの先生である寺川先生が毎日新聞に曽我先生が亡くなられて8日目の6月28日に曽我教学の遺産と題す記事のコピーが貼ってあったことです。寺川先生のお若い頃の写真とともに曽我先生をいかに慕われていたかを窺うことのできる記事でした。曽我先生はいくつもの印象に残るお言葉を残されていますが、改めて本を購入し、読んでいると胸に響いた言葉がありました。それは「如来あっての信か、信あっての如来か」という言葉です。奥深い言葉です。久しぶりに真宗学を学ばねばとメガネの奥からおっしゃっているように思えました。