本願寺堺別院
堺市堺区神明町東3丁1-10
堺別院と聞くと、彩色が鮮やかできらびやかなイメージがあります。なぜなら、知り合いの絵師さんが、長年にわたり、本堂の彩色工事にたずさわっていらっしゃるというお話しを聞いていたからです。今回の訪問は京都から車で第2京阪自動車道から近畿自動車道を通り約1時間半、意外と早く着きました。堺別院は堺市内の中でも海側(西側)にあります。山側から西の海側へ車を進めると、それまでの大きな整備された街から昔の町並みになっていきます。別院に着く途際では道も細くなり少し迷ってしまいました。山門は現在工事中で、工事用の囲いがしてあります。境内に車を止めますが、この日はお彼岸後の日曜日なので、法事の方や境内にあるお墓や納骨堂に参拝される方で少し混雑していました。本堂で法事があるようなので急いでおまいりさせていただきました。イメージ通り本堂内は金箔が貼り直され、彩色も鮮やかです。両余間の襖絵は堺という土地柄らしく南蛮交易風景で船が大海に浮かんでいる図柄です
法事がはじまりそうなので、そそくさと本堂を後にし、境内を見回すと本堂正面に大きな銀杏の木があります。その大きさは高さ20m 幹回り3.65mと非常に大きなものです。
本願寺派のお寺様には本山をはじめ、銀杏の木がよくあります。やはり西本願寺での伝説(※1)にならって植えられたのでしょうか?本堂右手に行くと、蓮如堂があります。蓮如堂の前には拝堂があり直接蓮如堂を見ることはできませんが、ガラス越しには見ることはできるようにはなっています。これは元々堺の豪商紺屋(こうや)道場円淨(えんじょう)に寿像(蓮如上人の銅像)を授けたり、樫木屋(さかきや)道場道顕(どうけん)に親鸞聖人御絵伝を授けるご縁によって、その後者の道場の横に「信證院(しんしょういん)」と称し、御坊を建設したことから建てられたようです。その「信證院」の額が本堂正面に掲げられています。この蓮如堂は納骨もできるそうです。また本堂左脇には与謝野晶子の句碑があります。それには「劫初より 作りいとなむ殿堂に われも黄金の 釘ひとつ打つ」これは「遠い昔から、人々が築き上げてきた殿堂に、 私も小さな釘をひとつ打ちたい。」という意味だそうです。仏具屋さん建築屋さんが詠うような句ですね。それほど、素晴らしかったのでしょうね。先日の大徳寺見学の際にも堺の豪商が伽藍建設の際に寄進されたというお話がありました。信仰厚い土地柄であることが歴史や俳句から伺い知ることができます。
※1 西本願寺の銀杏は根をはったような形状をしていることから「逆さ銀杏」と呼ばれています。また「水吹き銀杏」とも呼ばれ、天明の大火(1788)の時には水を吹いて御影堂などを火災から守ったそうです。銀杏は保水力に優れ、炎熱干魃に耐える力は抜群なのだそうです。果たして、本当に水を吹いたのかどうか…火事によって周囲が高熱になると、蒸発する水分が噴き出すように見えるために見られるという説もあります。