延仁寺(京都市東山区今熊野総山町2)

いよいよ親鸞聖人の生涯を辿る旅も終盤にきました。今回は近くなのに初めて訪問する地、親鸞聖人御荼毘所の延仁寺です。延仁寺は京都東山の地元の人しか通らないような細い道沿いにあります。当然大型バスは無理で、普通車でも運転に自信のある方でないと離合が難しい場所にあります。私は抜け道ではよく使う道で、よく横を通るのですが、今回初めて、駐車場に車を止め、訪問しました。駐車場はお墓を併設されているので、20台くらい止められるスペースがあります。駐車場の入口には親鸞聖人御荼毘所の石碑がありますが、見逃してしまいそうです。まず、駐車場の道挟んで向かい側の本堂からおまいりです。ご本尊が浄土宗でよく見られる舟型後背なのが印象的でした。本堂から出て、さらに奥にすすむと京都市内が一望できます。東西本願寺も見えます。夜は夜景がきれいでしょうねぇ。庫裏でパンフレットをいただき、御荼毘所の場所をお聞きしました。駐車場に戻り、その奥へ進んでいよいよ御荼毘所へ向かいます。左手に墓地がある坂道を上へ上へと進んでいきます。途中左手に屋根のある建物が見えてきたので、ここかと思いましたが、延仁寺さんの納骨堂でした。そして、間もなく、頂上に着き、その先に親鸞聖人の銅像とともに、御荼毘所が見えてきました。御荼毘所にふさわしい厳粛な雰囲気です。御荼毘所の前で静かに手を合わせておまいりします。最終地点に到達した達成感と、今までご旧跡を訪問したことを思い返し、感慨深いものがありました。 パンフレットによると、「平安京が出来て以来、この烏部野(烏辺野)の地には天皇の一族を初め、貴族や僧侶など数多くの都人の終の住み処(すみか)と選ばれました。“烏部野をおもひやるこそあわれなれ ゆかりのひとのあととおもへば”という親鸞聖人作と伝えられる歌があります。生前にこのように親鸞聖人の有縁の人々も多く葬られていることから、親鸞聖人もこの烏部野の延仁寺で荼毘に付されることとなったのです。一時この延仁寺は歴史の中に埋もれた時代があったのですが、江戸時代になって、仏光寺派の学僧であった大行寺信暁(だいぎょうじしんぎょう)が今熊野の当地を訪れ、地元の人々が「元大谷」とも「五輪が芝」と言い伝えたこの地が、親鸞聖人の荼毘の地で間違いなかろうということで、垣を廻らし拝堂が作られたそうです。(要約)」 親鸞聖人像の前にはひとつの石碑がありました。それには、『ここで親鸞聖人の遺体を焚いたと伝えられる。 一握りの骨を残して九十年の生涯は終わった。その時から親鸞の名は自覚道の名となって救済の歴史をひらく われいまその名によって本願他力の教に遇い 限りあるわが身を聞く されば立って大衆と共なる願いに究きむ 洛東山 延仁寺』浄土真宗僧侶としての深いお言葉ですね。親鸞聖人750回忌法要の年に意義深い場所にお出逢いでき、感無量です。