崇泰院(京都府京都市東山区林下町)
すうたいいん?そうたいいん?昔から寺名は知っていましたが、読み方がよくわからず、この際よく調べてみると、「そうたいいん」でした。崇泰院は知恩院の三門の前の道を北に上った青蓮院との間にあります。ここは普段、本堂は閉っていることが多いのですが、境内地には入ることができます。お寺の前にはいくつかの石碑があるので、車でゆっくり走ると目に付くとお思います。その中でひときわ大きく目立つのが「大谷本願寺故地」という石碑です。裏には「昭和四十八年三月 文永九年親鸞聖人の息女覚信尼公は門弟等と協力してその住地に聖人の廟堂を建てた。即ち本願寺の起源である廟堂は江戸時代初頭東山五条坂西大谷に移ったが当初の地はこの崇泰院の裏の辺に当る 西本願寺」と記されています。この記述からもここが本願寺のはじまりであることがうかがえます。まず、本堂に入ります。現在は浄土宗知恩院の塔頭寺院なので、ご本尊は浄土真宗と同じ阿弥陀如来様です。このご本尊は源信僧都が聖徳太子の霊告により椿堂の藤をもって彫られたものだそうです。また向かって左手には親鸞聖人29歳の時の木像があります。
外にでて本堂裏手に行くと、石塀で囲まれた五輪塔の親鸞聖人の墳墓があります。そういえば、親鸞聖人の妻である恵信尼のお墓もこの五輪塔でした。この時代のお墓はこのような形式が多かったのでしょうね。その右には切り株だけがある杉がありその横には立て札があります。それにはお杖の逆さ杉と書かれています。これは親鸞聖人が杖を逆さに立てたらそれが杉の大木になったということです。またその他に蓮如上人が産湯に使ったとされる井戸の跡が見られます。崇泰院は冒頭にも書きましたように、非公開にされていることが多いので、団体で行かれる場合は事前に予約されることをおすすめします。私も春秋に行われる非公開文化財公開など、公開される時を見計らって行きました。本願寺をたどる旅が続きます。