親鸞聖人ご修行の地 part 1/香華堂報100号[2009,05/01発行]

延暦寺 
【宗派】天台宗
【所在地】滋賀県大津市坂本本町4220

今回は比叡山延暦寺。その中でも目的地は3ヵ所。出家の後、最初に勉学されたとされる無動寺谷・大乗院。堂僧として修行された西塔・聖光院跡。妻の恵信尼の消息の一節にも出てくる主に勉学されたといわれる横川の中堂です。京都市内から車で1時間、比叡山ドライブウェイの料金所を通り、くねくねした道を上へ上へと登って行きます。標高848mの山ですが、琵琶湖も一望できて爽快です。ホテル前を通り次のゲートを通過し、根本中堂へ行く手前に弁天堂、明王堂とかかれた駐車場を右下へ降りて行きます。車を止めて根本中堂方面とは逆のケーブル延暦寺方面へ徒歩で行き最初の目的地無動寺谷・大乗院を目指します。片道20~30分の山道を下ると明王堂・不動寺前を通り『親鸞聖人御修行之地』の大乗院が見えてきます。ここのお堂は千日回峰をされている星野圓道師がご住職です。それゆえ、お堂前には『わらじ』が吊ってあります。 ここのお堂には親鸞聖人『そば喰いの木像』が安置されています。『そば喰いの木像』とは説明書きを要約すると『親鸞聖人が比叡山で修行されていた際、薬師如来の夢告により京の六角堂へ百夜の参詣を続けられたことがありました。これがいつとなく山僧の間に知れ渡り、よからぬ噂がたちはじめました。ある夜範宴(聖人の修行時代の名)が京へ下ったあとで、俄に蕎麦の振舞いをするとお師匠様から達しがあって沢山の若僧が集まってきました。彼等は例によって範宴のいないことを悪しざまに罵ろうとしたとき、お師匠様は大声で範宴の名を呼びました。ところが居ない筈の範宴が師の呼び声に応じてあらわれ蕎麦の振舞をうけました。以来、誰いうとはなく身代りの木像または、そば喰いの木像とあがめるようになりました。』駐車場まで戻るのが上り道で大変ですが、親鸞聖人はこの数倍の距離を毎日往復されていたのかと思うと自分自身が情けなくなりました。次号は西塔・横川についてお話します。