コラム
はじめに、台風及び新潟県中越地震により被災されました被災者の方々に対し、衷心よりお見舞い申し上げます。まだ多くの方々が避難所での生活を余儀なくされている様子を見るにつけ、安全な生活の掛替えのない大切さを改めて噛みしめる毎日です。被災者の方々が一日も早く以前の平穏な生活に復帰されることを念じています。このような災害に接すると、自分には何ができるだろうかといつも考えてしまいます。義援金、日本赤十字やNHK、各マスコミでされているので、郵便局や電話すれば簡単に振り込めます。ボランティア、仕事があるので、行けそうにもありません。こういう時、何もできない自分がいることにもどかしさを感じます。ラジオを聞いていると、とあるDJが『こんなにいろいろなことが日本に起きるのは日本が呪われているせいだ、日本中の宗教者、仏教もキリスト教の人もみんなでお祈りしてもらわなあかん。』と叫んでいました。お祈りしてもらっても震災が起こらないとはいえません。でも正直その言葉を聞いたときに、何か仏か神かそういうものにすがりたいという気持ちになりました。自分は被災者じゃないので、生活が逼迫していて、被災者の方々が何かにすがりたいというお気持ちになっていらっしゃるかどうかはわかりませんが、どうにかならないのかという気持ちにはなりました。 避難所生活ですと、当然仏壇は以前住んでいらっしゃった家の中です。多くの方々は仏壇よりも食事のこと、住まいのこと、寒さのこと、お風呂のこと、電気や水道、ガスなどのライフラインのことなどを考えていらっしゃることと思います。
それは、自分を守るということにおいて当然のことです。ただ、このような震災があると、一般の方々にとって仏壇の存在とは何だろうと改めて考えてしまいます。確かに人が生きていく上で、衣・食・住が一番欠かせないものですし、仏壇がなくても平穏に暮らしている人はたくさいます。ただ、ご家族の中に、ご不幸があれば、お仏壇に手を合わして、線香をあげたいと思われるでしょう。また、ご年配の方だったら、毎日お仏壇に手を合わす方もいらっしゃいますので、なければきっと頼りないでしょうし、家にある仏壇のことを心配されていることと思います。一般の方々は不幸のあった時にだけ仏壇が必要と思われている方が少なくありません。しかしながら、日々のおまいりになくてはならないと思われる方が現在ではどれくらいいらっしゃるでしょうか。一日も早く復興され、またお仏壇を囲んだ温かい家庭に戻られることを願って止みません。
私のお寺めぐり(第五回)
薬師寺
【宗派】法相宗
【所在地】奈良県奈良市西ノ京町457
天武天皇が皇后の病気平癒を祈願し、藤原京に薬師如来を本尊とする寺を建てることにしたのが680年でこの年が創建とされています。1528年、戦火により東塔と東院堂以外が焼失しました。
しかし、高田好胤氏が1967年薬師寺管主に就任し、写経100万巻勧進を発願し全国を勧進行脚しました。それにより金堂は1976年、西塔は1981年再建され大講堂は2004年、 落慶(完成)を迎えました。金堂や西塔はかの有名な西岡常一棟梁によって建てられました。さて、境内の建築の特徴ですが、東塔はフェノロサが「凍れる音楽」と評した美しい三重の塔です。裳階(もこし)という各層の下にさしかけの屋根が付いているので、見た目は六重の塔にみえます。東塔は創建当初から比べると、沈下しているため、今回の西塔の再建では、消失前よりも80cm高く建てられています。それ故、両塔の屋根の反りの違いにも注目です。金堂にはご本尊である薬師如来像、と、脇仏は日光、月光菩薩が安置されています。また、境内北側に八角形の玄奘三蔵伽藍があり、玄奘の頂骨と座像が安置されています。そして、その後ろに平山郁夫氏作の『大唐西域壁画』があります。この壁画は金堂の薬師三尊を壁画によって表された非常に素晴らしい作品です。そして、その伽藍の正面に『不東』と書かれた額があります。これは玄奘三蔵法師が長安から“西”に向かう天竺へ向かう際に、出発した“東”には戻らないという強い決意を表す言葉だそうです。団体の場合は、申し込めばお説教もしていただけます。
おすすめ情報
時期
『1月成人の日の前日・・・若草山焼き』(大池越しに見る薬師寺と若草山が素晴らしい)
3月30日~4月5日・・・ 修ニ会花会式(しゅうにえはなえしき)
仏像『金堂 薬師三尊像、吉祥天像(仏画)(1月と10月のみ特別開扉』
建築『東塔』