寺川俊昭先生を偲ぶ会/大谷大学講堂2022年3月19日(土)
〒603-8143 京都市北区小山上総町
私事ですが、真宗学に大きな功績を残された大谷大学名誉教授である寺川俊昭先生が2021(令和3)年9月28日に命終されました。私が大谷大学真宗学部に学び、三・四回生の二年間、ゼミでお世話になった恩師です。その先生の偲ぶ会が大谷大学で行われましたので、その報告をしたいと思います。自分は大谷大学の真宗学に進み3・4年生の2年間ゼミでお世話になりました。
当日、法要に合わせて作成された追悼 寺川俊昭先生「安慰の大道」と寺川ゼミ生追悼文集の冊子が配布されました。午後1時より追悼法要が行われました。現宗務総長や前大谷大学々長など錚々たる人々が焼香され寺川先生の元で多くの方々が学んでおられたことを知り驚きました。私も焼香し、先生への感謝を念じ、御礼申し上げました。
法要後は卒業生が、寺川先生への思い出を語られていきました。私の印象に残ったのことは先生は学生にも常に敬語で話されていたこと、また「業を果たす」という言葉をよく使われていたことです。常に話す相手に敬意を持ち、「業を果たす」という言葉は今置かれている立場にもっと真剣になれと言われているように思いました。最後に外に出て記念撮影しました。先生の元に集まった同志の皆さんと晴れやかにお会いできて感激いたしました。
配布された追悼文集には私も寄稿しましたので、恥ずかしながら要約してご紹介したいと思います。
「自分が大谷大学に入る“きっかけ”になったことからお話しします。自分の曾祖父は明治の頃より金箔押職人をしておりました。昭和に入って東本願寺のご用達である七条烏丸南東角にあった仏具商の福井弥右衛門商店から事業承継を依頼され、その店を任せられました。その後、福井弥右衛門商店さんに商号をお返しし、現在では香華堂という商号で営業しております。
そんな家の四代目として生まれた自分は小さい頃から家業を継がなければという雰囲気が周りの皆さんや、お寺様からもあり自分もそんなつもりでおりました。
しかしながら、順調なことばかりではなく小学生時に事業が傾き、規模を縮小しながら大学受験の頃は細々と営業しておりました。
そんな中で、お寺様とのご縁ができ商売にも生かせるのではないかということで大谷大学文学部真宗学科に進むことになったのです。3回生になるとゼミ選択の時がきました。当時、人気があったのは寺川俊昭先生と広瀬杲(たかし)先生です。お恥ずかしい話ですが、先生のことは全く知らず、友達に誘われて寺川先生のゼミに入った次第です。先生のゼミは真面目な方が多く、場違いなところに来てしまったと焦りましたが、先生は優しくどんな質問にも丁寧に答えてくださいました。ゼミでは歎異抄を学び、自分の発表は第四条の「慈悲に聖道・浄土のかはりめあり」でした。忘れもしませんが、その発表当日に寝坊してしまいましたが、先生初めゼミ生にも咎められず、謝りまくって発表したのを覚えています。
そして四回生になり興正寺会館で卒論に向けての一泊合宿をしました。まずは卒論のテーマを何にするかがですが、先生に相談すると、ゼミで担当した歎異抄四条から深めていってはどうかと言われ、そのご指導の下、無事書き上げることができました。卒論の題名は「真実信心」です。
卒論の口頭試問では内容について色々と質問をされましたが、後半は父のことや商売のことを尋ねていただいて心配し下さったことを覚えています。卒業して30年余りが経ちますが、現在でも事業を続けていられるのは寺川先生初めゼミ生の皆さん、多くの大谷大学のOB及び関係者の皆様のお陰と思っております。寺川先生には深く深く感謝申し上げて私の寄稿の言葉とさせていただきます。先生、本当にありがとうございました。」紙面の都合により再編集しております