和田堀廟所(浄土真宗本願寺派)  東京都杉並区永福 1-8-1

 

今回は築地本願寺の分院である和田堀廟所にお参りに行ってきました。場所は東京都心の少し西に位置しています。和田堀廟所の成り立ちは未曾有の災害をもたらした関東大震災の時に遡ります。この震災で築地本願寺も類焼する被害を受けてしまい、墓地・石碑を移転する計画が持ち上がります。その当時、この地にあった陸軍火薬庫の土地1万1千坪の払下げの話があり、明治大学とともに土地の使用許可を願い、この辺りの町名である和田堀町の地名から「和田堀廟所」と名付けられ誕生しました。墓地だけの面積だけで約7400坪(24,500㎡)

を有し、都内屈指の墓地です。

この時は、東京の仕事を終えて西の方面に車を走らせていた際に偶然にも「和田堀廟所」の看板を見つけて引き返しました。甲州街道という大きな国道20号線に面した建物の手前の駐車場に車を止め、逆U字の大きな建物の間を歩いていきます。法事やお葬式もできるようで、僧侶や喪服を着た方が行き来されていました。その奥の正面には本堂が見えてきます。本堂は第2次世界大戦の戦火に遭い、それまでの木造から建て直しされたようで、築地本願寺を模したインド仏教様式の鉄筋造です。中に入ると、参詣席は椅子式になっており、外陣は畳が敷いてあります。案内によると御本尊と祖師御影だけは戦火から逃れたようです。本堂の裏手から左手にかけて広大な墓地が広がります。都心でこの広さはすごいですね。

境内には本願寺第21代門主明如上人の次女であり、京都女子学園の設立に尽力した九条武子様の墓地や女流作家の樋口一葉や俳人である中村汀女の墓地もあります。自分は墓地の中まで入りませんでしたが、事務所のすぐ脇にカルピスの顕彰碑があったりカステラ文明堂の東京進出に尽力した宮崎甚佐衛門の句碑が建碑されていたり興味深いものが多くあります。その句碑には草書で、「手を洗いましょう、口濯ぎ(ゆすぎ)心を清めて参りましょう 聞きましょう 帰りましょう 弥陀の浄土に 南無阿弥陀仏」と刻まれています。これからのお墓まいりの心得として覚えておきたい言葉です。墓地なので、団参ではオススメしませんが、東京に行かれたら、その広大な敷地を見学し知見を広げるにはいいかもしれません。