妙安寺様(東本願寺親鸞聖人御木像御真影御里御坊)

群馬県前橋市千代田町3丁目3−30

 

関東方面に出張で行きましたので、以前から気になっていた群馬県前橋市の親鸞聖人木像の御里御坊である妙安寺様におまいりしてきました。

関越自動車道の前橋インターを下りて10分程のところの中心街に妙安寺様はあります。近くの市営駐車場に車を止めて、向いました。お寺の裏側には広瀬川が流れており風情があります。商店街を歩いて行くと右手に石柱が見えてきます。本堂向かって左側には寺号である「真宗大谷派 妙安寺」の文字が、そして右側には「親鸞聖人 御真影御里御坊」と刻まれています。

本堂はビルを背にして建っています。参道を本堂まで歩いて行くと左側には墓地が広がり、その一角には小さな梵鐘があります。こちらは前橋市の文化財に指定されています。

妙安寺様は、親鸞の直弟子の一人成然(じょうねん)を開基として、元々天福元年(1233)に下総国猿島郡一ノ谷(現在の茨城県猿島郡)に創建された寺院です。のち一の谷のすぐ近くの同郡三村(現在の茨城県坂東市)に聖徳太子が建立されたと伝えられる最頂院という廃寺を聖徳太子の霊夢により成然は復興し、一の谷のお寺が手狭になったので、そこに移り住みました。親鸞聖人は京都に帰る時、別れを惜しむ成然に自分を彫った木像を与えたということです。

時代は下がって天正8年(1590)に武蔵川越藩初代藩主、酒井重忠の要請があって、妙安寺は武蔵国川越に移り、12年後の慶長6年(1601)に前橋に転封(てんぽう)となった時に、寺も酒井家に従って、再び寺基をこの地に移しました。

慶長5年(1600)に関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利すると、隠退していた教如上人は慶長7年(1602)に現在の京都烏丸六条・七条間の地を徳川家康から寄進を受けました。

そして寺地を寄進された教如上人は仮御堂を建立し、慶長8年(1603)正月3日にこの妙安寺様の御真影を遷されました。妙安寺に御真影をお迎えに行ったのは教如上人の側近、粟津勝兵衛で教如上人も七条堀川に架かる御堂の橋に出迎えとされています。同年11月に阿弥陀堂が完成し、翌年慶長9年(1604)の4月に御影堂が着手され、9月には御真影が遷され遷座法要が行われています。2004年で満400年になります。ちなみに御真影の歴史をたどっていくと、一般的にいわれているような徳川家康が政治的・意図的に本願寺を分裂させたのではなかったということも分かりました。この紙面では字数の都合上、説明は割愛しますが、ご興味のある方は東本願寺教学研究所編「教如上人と東本願寺創立」をご覧ください。