山口別院(本願寺派)

山口市小郡花園町3−7

         今回は、山口県萩市のお寺様に納品があったので、その前に山口市内に宿泊し山口別院にお参りしてきました。前泊で瀬戸内海側の新山口駅近くのホテルに宿泊して次の日の朝からお参りしました。新山口駅からは数分の所に別院はあります。案内によると山口県には、萩市に別院があり岩国市に教堂があり行政機関である教務所は山口市小郡に会館があったそうですが、昭和61年に統合されここ新山口駅近くに新たに建てられたそうです。そのため、2015年には別院設立30周年を迎えられました。

新山口駅からは車で数分で到着し、別院の回りの駐車場に車を止めておまいりに向います。仏塔(ストゥーパ)を模した丸い屋根に相輪が中央にそびえた近代的な造りになっています。中に入ると椅子式の本堂ですが、おまいりしていて一つ特徴的なものを発見しました。それは長押の上部分の壁部分や柱にかけて「藤の花」の彫刻が垂れ下がっていることです。これは建設時に輪番さんがこだわりで設置されたようです。仏具屋の自分としては誰が製作し、どのように設置されたか興味深く拝見しました。

その後は日本海に面した萩市へ向かいました。萩市へは山口別院から約1時間で到着します。萩市内に着くと萩別院の旧跡がないかと向かいましたが、今は幼稚園があるだけでした。まだ少し時間があったのでその幼稚園近くの「明倫学舎」という旧萩藩校明倫館の建物へ見学しに行きました。ここは元長州藩の藩校で水戸藩の弘道館、岡山藩の閑谷学校と並び日本三大学府の一つだそうです。ここで巣立って行った明治維新の主要人物は木戸孝允(桂小五郎)、吉田松陰、高杉晋作などで、武士の格を持つ士分しか行けませんでしたが、吉田松陰は持たない者に対し、私塾「松下村塾」を開き、伊藤博文、山縣有朋らを輩出しました。館内は各偉人の紹介や発明品の展示が多くあり見応え充分でゆっくり見学すると半日はかかりそうです。館内の案内人と話していましたら、なぜ萩の地に藩校ができたかというと、関ヶ原で負けた毛利輝元が当時辺境の地である萩に追いやられ、そこに藩校を建てたという経緯があるそうです。外の敷地内にも遺構が残され、興味深かったのは元々新明倫館の門であった南門です。この門は本願寺山口別院の正門となっていたそうですが、2004年にここの場所に寄付され戻ってきたそうです。また、萩市郊外には道の駅「萩往還」があり、吉田松陰記念館があります。萩は海に面した町で静かで修学旅行で多くの学生が訪れるそうです。また幕末の歴史がお好きな方にはたまらない町ではないでしょうか。