顕証寺(久宝寺御坊)
大阪府八尾市久宝寺4-4-3
今回は、お盆前にご住職にお会いしたご縁もあり、大阪八尾の久宝寺にある顕証寺様におまいりしてきました。電車で大阪駅そして天王寺経由で久宝寺駅から徒歩10分ほどのところにありました。駅を降りた案内板には天文10年(1541)頃につくられた町、久宝寺寺内町の看板があり、その中心が顕証寺であることがうかがえます。案内板を頼りに駅から歩いていきます。細い道を歩いて行き10分ほどすると信号のある2車線の道路が見えてきます。その向こうには住宅地から突き出た木々があり、この辺りかなと思いながら進んで行きます。そしてまた小道を進むと左側に「許麻(ごま)神社」というお宮さんが見えてきます。今までの経験上、神社が見えてくると、お寺は近いという法則があり、見上げますが竹林に隠れて御堂がなかなか見えません。しかしながら、小さなお地蔵さんがありその奥に石垣があるので、そこを進んで行くと、ようやく左手に大きな屋根の妻部分が見えてきました。左手の境内地にはお墓が多くあり、またお盆の時期でもありましたので、多くの墓参りの方々が来られていました。本堂正面に回り山門から入ります。山門も築地塀付の立派な唐破風仕様となっています。境内に入ると正面に本堂が見え、それはそれは立派で案内によると桁行11間梁行11間で大阪では有数の木造建築物だそうです。境内両側には親鸞聖人と蓮如上人の銅像が迎えてくださります。また境内地右手には光雲閣という門信徒会館が左手には石造の合葬墓がありました。この合葬墓は珍しい形をしていて正面には阿弥陀如来像が左右側面にはお名号が彫られています。裏面に昭和5年と刻まれていますので、その当時とてして画期的なデザインだったのではないでしょうか。本堂内に入ると天井が高く柱なども金箔が貼られ、たいへん荘厳な雰囲気です。正面上の扁額には「慧燈」の文字があります。ご存知だと思いますが、この文字は明治天皇が蓮如上人に対し明治15年に送られた諡号(しごう)で、このお寺が蓮如上人が開基であることから掲げられているのではないでしょうか。
本堂向かって右手の渡り廊下や東長屋、西長屋、庫裏、長屋門なども歴史は古く、特に庫裏は宝永三年(1706)と古く再建された本堂の正徳六年(1716年)よりも古いことが分かっているそうです。
また顕証寺様といえば、毎年の蓮如忌に撒かれる散華が有名で今年は住職法統継承式も兼ねて行われたので8万6千枚もの華皅(けは)が本堂を舞ったそうです。一度、その華やかな法要におまいりしてみたいものです。