本福寺(浄土真宗本願寺派)から堅田のお寺めぐり~蓮如上人ゆかりのお寺~①
滋賀県大津市本堅田1-22-30
今回は京都から近くの堅田 本福寺様におまいりしてきました。車で行ったのですが、堅田地区は無料の駐車場が充実しています。本福寺様などのご旧跡があるのは国道から琵琶湖までの浜に近い地域なのですが、その手前に大型バスが止められる程の無料駐車場があります。私はその駐車場に車を止め、堅田の町を散策しながら向かったのですが、それぞれの旧跡にも無料の駐車場がありますので少人数でおまいりされる場合は近くまで行かれることをおすすめします。
駐車場からまず本福寺様に向かいます。最初は普通の家々が立ち並び、ところどころお寺や旧家があります。堅田の中心部にくると街並みが瓦屋根ばかりで石畳になり、いにしえの雰囲気を味わうことができます。案内板にしたがって、本福寺様を目指します。お寺の前の駐車場には数台の車が止まっていました。今日は法要でもあるのかなと思っていたら、市長選の投票所になっていました。山門の前には『本願寺旧址』の石碑があります。これは蓮如上人が、比叡山から「仏敵」として大谷本願寺が焼き討ちにあった寛正の法難の際にこの地で寺務を執られたのでこの『本願寺旧址』の名を付けられたといわれています。山門をくぐると、目につくのは石碑の多さと境内を覆う松です。この石碑は、ここ松尾芭蕉の高弟の句碑が多いそうです。なぜなら第十一世住職の明式は松尾芭蕉と親交が深く、芭蕉から「千那」の俳号を受けた程の高弟でした。そのため、本福寺を千那寺とも称されています。芭蕉は千那の招きで堅田に再三訪れ、堅田の俳諧文化を盛んにしました。その関係で芭蕉の句碑が建てられています。芭蕉の句碑は本堂左手の通路を通り、裏手にひっそり立っています。本堂左手の通路を進むと正面に蓮如堂が見えます。中には蓮如上人像が安置されているそうです。本堂裏手に回ると、お庭があり、そこにも石や石碑群があります。どれが芭蕉の句碑かなと思っていると、ちょうどご住職らしき方がいらっしゃったので教えていただきました。「文字はほとんど読めないよ」と仰ったようにほとんど字を判別することはできませんでした。後ほど調べて見ると、「病雁の夜寒に落ちて旅寝かな」と刻まれているようです。その意味は「雁の群れから一羽の雁が離れて行った。きっと病で飛ぶことができずになったのだろう。私もこうして旅先で病になり長い夜を過ごしている。」読みは「やむかりの よさむにおちて たびねかな」。近江八景の堅田落雁にもかけているのではないかと言われています。次回は堅田源平の光徳寺や浮御堂のお話をして行きたいと思います。