姫路城1/香華堂報197号[2017,06/01発行]

姫路城1

 兵庫県姫路市本町68

2015年修復を終えた姫路城がメディアでよく取り上げられているので家族で春休みも利用して入城してきました。

姫路城はお城の中でも修復した効果もあり、2015年度の年間入場者数が日本一になったそうです。そのため開城時間前には長蛇の列となっていました。車を東側の駐車場に止め、西に向かいましたが、後に聞いたところによると、秀吉の時代には入口はこの東側から入ったそうです。それは中国地方や九州地方からの大名から城を守るために東側に作ったとされています。

ちなみにその頃にお城の色は黒かったそうです。

 長い行列を待ってようやく入城しました。きれいになった姫路城は出来上がった当初「白鷺城」ならぬ「白すぎ城」と揶揄されましたが、一年以上たった現在では少し色合いが落ち着いたのではないかと思います。当日は天気もよく漆喰の白が輝きまぶしかったです。豊臣秀吉の黒から徳川秀吉の時代になり城主は徳川家康の娘婿である池田輝政にかわり、かわったことを印象付けるために白にかわったのではないかということもガイド本に書かれていました。入口を入り、まずは菱の門から見学します。姫路城の中では一番大きな門です。その門をくぐり大天守に向かうとまた大天守に入る行列に並びます。向かう途中にスマホでアプリをダウンロードすれば、実際に兵隊さんが銃をもって戦う様子や石を落とす様子を再現するポイントがあり、時代劇には馴染みのない子供には好評でした。いよいよ大天守の入口にきました。靴を脱ぎ階段を登っていきます。見どころは各所ありますが、大きな見どころは三階の西大柱と東大柱です。特に西大柱は昭和の大修理の際に腐食が進んでいたため、兵庫県市川町にある笠形神社のご神木を使うことになりましたが地元住民に猛反対されましたが、地元姫路城に使うことで説得され「姫路城の心柱として大切に使ってもらえるなら」と伐ることが許されました。しかしその上部に反りがありその一本だけでは使えないことが分かりました。一年以上たって長野県の裏木曽に大ヒノキが発見されこれで修復が進むと思われたのですが、運搬途中に折れてしまい、心柱として使えなくなってしまいました。そこで笠形神社の神木と長野県の木曽ヒノキをつなぎ合わせることが提案され、二本の木は姫路に運ばれました。二本のヒノキは心柱になることを運命づけられているかのようにということからこの心柱を「運命の木」として受け継がれています。この日は人が多く写真を撮れる状態ではなかったので前回訪問した2003年当時の写真を掲載しています。まだまだ見どころはありますので次回にしたいと思います。