浄土真宗ご旧跡めぐり/香華堂報201号[2017,10/01発行]

大垣別院開闡寺(真宗大谷派)

岐阜県大垣市伝馬町11番地

今回は真宗大谷派の大垣別院を訪問しました。大垣教区にはお得意様も多く、なじみ深い地域です。大谷派の寺院は多く、400ヶ寺以上を有する大教区です。その教区をとりまとめているのがここ大垣別院となります。場所は大垣駅から徒歩10分ほど、大垣城や官公庁が近くにある大垣市中心部に位置します。近くの市営駐車場に車を止め、徒歩で別院に向います。別院に近づくと大きな鉄筋造の白い大きな二重屋根の本堂が見えます。本堂に合わせて、山門も白いです。白い建物も清々しくていいですね。まずは本堂に入りおまいりします。本堂に入ると天井が高く、参詣席には椅子が並べてあります。本堂を見渡して特徴的なのは欄間です。金属でできているのでしょうか、平らな天女像が三尊前にも両余間にも荘厳されています。

境内を見渡すと、境内に幼稚園があるので賑やかな声が聞こえます。そして改めて山門近くに行くと、「濃尾震災100年記念碑」がありました。それには富永覚梁氏による「朝に寄せる挽歌」の詩が刻まれていました。その石碑は1891年(明治24年)10月28日の早朝に起こった濃尾震災から100年後の1991年に追悼の気持ちを込めて建立されました。この地震の影響でしょうか、大垣近辺のお寺様は鉄筋の本堂も多く見受けられます。また、本堂右横には別院にはおなじみの句仏上人の句碑もあります。俳句の文字は調べても分かりませんでしたので、またご存知の方があればお教えください。

本堂内には「おおがきご坊」の寺報があったので、それを読むと2016年5月にご門首を迎えて(ご親修)の親鸞聖人750回御遠忌法要が執り行われたようです。ただ法要だけでなく、その法要の前には初参式と花まつりが行われたり6月から第二土曜日に「寺子屋ゴボちゃん」と名付けられた小学生対象の子供会が開かれたりといろいろ工夫されているなあと感じました。その昔大垣別院は「大垣御坊」や「ごぼさん」と呼ばれていたことから名付けられたようです。またその寺報には別院に参詣された20代から80代までの80人にアンケートを取られ、「大垣別院を知っていますか」とか「大垣別院で法話を聞きたいですか」などのアンケート結果がのっていました。今まで印象の薄かった別院をもう一度地域の皆さんに馴染んでいただくように努力されている様子がうかがえました。行きは西門から入りましたが、帰りは南の細い道から帰りました。そこから見る別院は白いお城のように存在感がありました。寺報で書かれているような物理的な存在感だけでなく、地域の人々がたくさん来られて馴染み深い別院になることを私も願ってやみません。