浄土真宗ご旧跡めぐり/香華堂報200号[2017,09/01発行]

鶴来別院(真宗大谷派)

石川県白山市鶴来清沢町ヨ12番地

お盆休みを利用して石川県白山市にある鶴来別院へ行ってきました。白山インターを下り、約30分、手取川沿いに道を走り、鶴来別院の門前町に入っていきます。別院に近づくと大伽藍の屋根が見えてきます。バックに山がそびえています。車を止めて、山門から入ります。境内に入ると、大きな本堂が正面にそびえています。本堂の彫刻はどれもが素晴らしく、特に木鼻や手挟み(たばさみ)などの彫刻が素晴らしいです。

さて境内の案内によると、鶴来別院は「大御坊」と通称された鶴来村の惣道場(そうどうじょう)にその起源があります。

戦国時代、加賀国四郡においては、本願寺第八代蓮如上人の子息が入寺した寺院を「御山」とよび各郡の真宗寺院の中枢となりました。鶴来別院の所在する旧石川郡には、現在、当別院が位置している清沢の地(現、白山市鶴来清沢町)に蓮如上人の七男蓮悟によって坊舎が創建され、清沢坊と称されました。その後、1531年(享禄4年)、「享禄の錯乱」といわれる一向一揆の内紛によって焼き討ちされ廃絶しました。

別院の寺伝によれば、清沢坊が廃絶した後、天文年間(1532〜1555)に大御坊惣道場が建立されたと伝えられています。惣道場とは、村落全体の門徒の総意により共同で維持運営される念仏聞法の道場をいいます。その後、江戸時代を通じて鶴来における聞法の拠点として護持されてきました。

1880年(明治13年)4月、金沢別院鶴来支院を公称することになったのを契機として当地の門徒によって新たな本堂建立の願いがおこされ、翌年3月には仮御堂が建てられました。

鶴来地域の門徒の熱い懇念によって1891年(明治24年)10月に新本堂の建築が起工され、1899年(明治32年)に完成しました。

1903年(明治36年)11月、金沢別院より独立して鶴来別院となりました。となっています。ご門徒の方々の熱い想いによって再建されたことが伺えます。さて、境内を回ると山門を入って左側に句仏上人の句碑がありました。この句碑には「鶴来別院遠忌 句佛 この遠忌に獲信の縁も木々の芽も」と刻まれ、句仏上人である彰如上人がこの地を大正8年4月12日に親鸞聖人650回御遠忌法要でこの鶴来別院を訪れた際に詠まれた句でした。境内にはこの他に加賀藩筆頭家老本多家の門が移築された御殿門があります。別院の近くには北陸鉄道石川線の終点である鶴来駅もございます。のんびりのどかな景色を見ながら電車に揺られ行くのもいいかもしれません。