光徳寺(真宗大谷派)から堅田のお寺めぐり~蓮如上人ゆかりのお寺~②
滋賀県大津市本堅田1-22-30
本福寺様の山門を出て左に進み小道をてくてく歩いて行くと、道沿いに光徳寺様があります。塀には「蓮如上人御旧跡 堅田源兵衛之首」の案内標識があります。その塀が光徳寺様の塀です。山門を入ると境内の左手にその物語の銅像があります。堅田源兵衛之首のお話というのは、鎌倉時代に親鸞聖人が開かれた浄土真宗の教えは第8代の蓮如上人の室町時代にはだいぶ衰退していました。しかしながら蓮如上人は再興に力を注がれ、その教化により信心深厚する人々が多くなりました。しかしそれを阻止しようとする叡山の族(やから)によって、京都の大谷本願寺が焼かれ親鸞聖人の御真影(木像)まで危機が及びました。御真影を比叡山延暦寺の僧兵から守るために、三井寺の住職に本願寺再興の時まで預かって欲しいとお願いして北陸へ布教の旅に出ました。 その後1480年に山科本願寺が完成したのを機に 門徒衆が御真影を迎えようと三井寺に赴きましたが、三井寺はこれに応ぜず、それなら「人間の生首を二つ持って来い」と無理難題を吹きかけました。蓮如上人は困惑し心を痛めていましたが、当時 源右衛門・源兵衛という篤信の漁師親子がこの話を聞いて、日頃のご恩に報いるため息子の源兵衛の首を差し出し、自分の首も刎ねてくれと三井寺に申しでましたが、その殉教心に感じ入り直ちに御真影を息子の首もろともに返したという殉教物語であります。この話をお聞きすると本願寺で御真影に対しておまいりする時に、多くの方々のご苦労によってこうしておまいりできるのだなとしみじみ感謝せずにはいられません。
さてそれからは堅田の象徴的なお寺様、浮御堂に向かいます。浮御堂は琵琶湖の中に建っています。今回の最後の目的地です。よくメディアで目にすることはあるのですが、実際に訪れたのは初めてのことでした。入口で拝観料を払って、山門をくぐると、正面に浮御堂が見えてきます。お堂に行くには小さな橋を渡るのですが、訪れた日は天気もよくすがすがし気持ちになりました。お堂にたどり着くと正面のご本尊におまいりします。その後、お堂は一周回れるので、高欄や板戸を見ながら回りました。それらについて付いている金具が繊細で目を奪われてしまいました。反対側に回ると広くなっていて、しばらく琵琶湖を眺めていました。こんな穏やか湖面を見ていると、大昔そんな悲劇があったとは思いもよりません。まだまだ未知の、私のご旧跡をめぐる旅はまだまだ終わりそうもありません。