大谷派 天満別院

 住所 大阪市北区東天満1-8-26

今回は大阪天満別院のご紹介です。谷大時代の同級生が天満別院最寄りの駅である大阪地下鉄堺筋線南森町駅から徒歩5分くらいのところに住んでいたので、天満界隈は馴染み深い土地です。今回も南森町で下車して天満別院へ向かいました。天満別院近くの天神橋筋商店街は日本一長い商店街としても有名ですが、梅田から少し離れたところにあるので、少しのんびりとした雰囲気があり、大阪に来ると人の多さに圧倒される私にとってはちょうどいい具合の商店街です。オフィス街を抜け細い道を歩いていると大きな文字で「真宗大谷派 天満別院」の金色の文字が見えてきます。さすが大阪ですね。目立ってなんぼの土地柄です。北側には大きな敷地の墓地があります。夕方4時半頃でしたので入口はもう閉まっていました。ぐるっと回って本堂前に来ると、お西の開山厨子の屋根のようなやわらかくうねりのある近代的な本堂が見えてきます。都市型の本堂という雰囲気ですね。本堂はまだ開いていたので、中に入りおまいりしました。都会らしく椅子式でカーペットが敷いてあり土足で入ることができました。本堂外側正面には東本願寺二十二世現如上人ご染筆による「六字城」の扁額が掲げてあります。また本堂前の由緒書きによると、本堂は平成十二年の再建されたようです。また天満別院の開創は教如上人ですがその上人に従って信任の厚かった仏照寺祐恵が尽力し子孫も十一代にわたり受け継いで、整備と発展に貢献したので、近年まで天満別院を親しみを込めて「仏照寺さん」と呼んでいたそうです。また石山本願寺で織田信長と講和した後、紀伊国鷺ノ森、和泉国貝塚本願寺と移り行き、ここ天満の地にその当時は川崎本願寺(または中島本願寺)と呼ばれ七年の間、寺内町を形成していたそうです。天満別院はその流れを組み伝統を受け継いだのでしょう。天満本願寺はその当時、天満別院近くの造幣局付近か滝川公園あたりのどちらかにあったようです。滝川公園には「天満興正寺御坊址」という石碑があります。

帰りには天神祭で有名な大阪天満宮や2006年に61年ぶりに上方落語の定席として復活した「繁昌亭」などを見て帰りました。大阪は笑いありおいしい食ありそして天満から近くの大阪城は近年外国人の観光スポットとしてたいへん賑わっています。今回は急いで帰ってしまいましまたが、また大阪をじっくり味わいに来たいと思います。