大谷派 明達寺様

 臘扇堂の地━暁烏敏生誕の地

 住所 石川県白山市北安田町1106

以前お伺いした碧南市の清澤満之記念館で購入した「清沢満之物語」という本を読み、清澤師と暁烏敏師の師弟関係にたいそう感銘を受けました。その本の末文に暁烏師は師匠である清澤師をたたえるため、自坊に「臘扇堂」を建てたという一文があり以前から気にはなっていたのですが、ちょうど夏休みを兼ねて北陸方面に行く機会があったのでその際におまいりすることができましたので報告いたします。まず清澤満之師を安置するお堂をなぜ「臘扇堂」と呼ぶかといいますと、陰暦で12月を師走といいますが、「臘月(ろうげつ)」とも別名でいうそうです。その冬を表す言葉「臘」に扇なので、清沢満之師は自らを「冬の扇のように必要のないもの、役立たず」と号し、それから名前を付けられました。

さて臘扇堂のある明達寺様一帯は森におおわれていています。本堂の扉は締め切ってあったので内部はおまいりすることはできませんでしたが、掲げてある額は素敵でした。その文字は暁烏敏自筆の「汝自當知」の文字でした。

さて臘扇堂は本堂から左手に進み、そしてさらに左手に道を進むと右手に八角堂が見えてくるお堂です。お堂の手前には火袋が両側にしかない石灯籠が真ん中に一つ立っています。その向こうの階段を上り臘扇堂へ向かいます。臘扇堂は金具も風鐸も趣があり、興味がそそられるものばかりでした。お堂の中をおまいりすると正面に清澤満之像がそのお像を仰ぎ見るように暁烏敏像が床の上の台に安置されています。私にとっては大学時代の大先生、二祖対面を思わせるもので思わず凛とした気持ちになりました。暁烏敏像はこちらに背を向けていらっしゃるのでお顔の表情を伺い知ることはできませんが、清澤満之像はかなり恐く厳しいお顔をされているので、今にもお怒りになりそうな表情です。暁烏敏師も清澤先生の像を、尊敬するだけではなく自分を戒めるように製作者に注文を付けられたのはないだろうかと推測できます。また、石灯籠を支点とした臘扇堂の反対側には石碑があります。その石碑には「十億の人に十億の母あらむもわが母にまさる母ありなむ」と彫られています。この句碑は松任駅でも暁烏敏の銅像とともに見ることができます。

 また本堂左には暁烏敏師の父である依念のお墓(文字は父の親友で同郷である松本白華)と最初の妻(正面の文字は南條文雄師、左側面の文字は妻の実兄である佐々木月礁の文字)のお墓があります。昔のものはどれもが味わい深く、そのセンスに驚嘆しながら参拝いたしました。暁烏敏師を取り巻く人のつながりというのが随所に感じることのできる味わい深い訪問でした。