茨城常総 坂東報恩寺 ■茨城県常総市豊岡町丙1586-1
東京上野 坂東報恩寺 ■東京都台東区東上野6-13-13
【宗派】 真宗大谷派
親鸞聖人直弟子性信開祖の寺院
坂東報恩寺様でまず頭に思い浮かぶのは、教行信証坂東本です。浄土真宗門徒にとっては大切な教行信証(坂東本)は元々、この上野の坂東報恩寺様にあったことは聞いておりました。この坂東本を調べてみると、苦難の道を歩んで現存したことがうかがえます。元々、上野の報恩寺にあったものが大正時代の当時、近くの浅草東本願寺に預けられていたのですが、関東大震災で東京東本願寺が火事に遭い、金庫に保管されていたこの坂東本も焼失したものと思われていたのですが、なんとその金庫が火災の後取り出され、完全に冷めるのを待って開けたところ無事で難を逃れていたそうです。ここで少し教行信証のお話しをいたします。教行信証は浄土真宗本願寺派では「御本典(ごほんでん)、真宗大谷派では「御本書(ごほんしょ)」と呼ばれ、元仁元年(1224年)4月15日この教行信証の草稿本が完成したことをもって真宗教団連合では立教開宗としています。浄土真宗では一番大切な親鸞聖人の根本聖典です。
さて、二つの報恩寺ですが、まず向かったのは茨城の報恩寺様です。手前に車を止め、山門正面から入ります。山門脇に親鸞聖人御旧跡二十四輩第一番 坂東報恩寺とかかれた石碑があります。境内に入るとまず目にするのは寄棟造りの本堂です。浄土真宗の寺院は入母屋造りの本堂がほとんどなので、目を引きますね。本堂向かって右側に昭和61年10月11日12日に行われたこのお寺の開祖である性信上人の700回御遠忌法要を記念して造られた御遠忌法要記念会館が建っています。最初に書いた石碑もその当時に建立されたようです。また会館の近くには西本願寺御門主がお手植えされた杉の木が立っています。日付を見ると昭和45年に参拝されていますね。夕方だったので、本堂内には入らず、庫裡を訪問し若院様にこの報恩寺の由来書きをいただきました。その由来書きによると親鸞のお供をして関東を布教されていた性信は、元々大楽寺という真言宗の無住で荒れ果てていたこの地に以前あった沼地を舟でこられたそうです。本堂正面にある松はその舟を繋いでいた松であるようです。その寺を親鸞聖人がもらい受け、そばにいる性信に専修念仏を弘めるように命じたそうです。これが報恩寺のはじまりです。親鸞聖人が60才を過ぎた頃、京都に戻られることになりました。箱根の山まで性信もお供しましたが、関東の地で布教をするよう聖人に諭され、もうこの関東の地に戻ってくることはないだろうとかたみの品(教行信証の草稿本、浄土三部経、善導源空両氏の絵像)などを渡したそうです。その品々のひとつが教行信証坂東本なのではないでしょうか。そこで親鸞聖人は一首詠まれています、「やむ子をばあづけてかえる旅の空 心はここに残しこそすれ」。聖人の切ない思いが伝わってくるようです。その石碑は箱根の笈の平らに残されています。お寺に戻った性信は報恩寺の前に市ができるほど、多くの聴衆を集め、その人たちは横曽根門徒と呼ばれていました、性信のお墓は本堂裏側にありますが、性信像は群馬県の宝楽寺というお寺にあるそうです。それだけ多くの聴衆を集めた性信上人、一度どんなお話をされるか聞きたかったですね。次回は東京上野の報恩寺様をご紹介します。