岡崎別院  
■京都市左京区岡崎天王町26

【宗派】 真宗大谷派 

 

 岡崎別院は京都の文化ゾーンである岡崎公園の北に位置し、東に岡崎神社、北には金戒光明寺がある環境の静かな場所にあります。また別院は親鸞聖人の草庵でもあります。親鸞聖人が越後に流罪になって関東布教後、京都に戻った晩年になって最初に住んだのがここだといわれています。今回はバスで銀閣寺方面から向いました。岡崎別院前の丸太町通の岡崎神社前で降り、信号を渡って山門に向いました。山門脇には「親鸞聖人御草庵遺跡」と書かれた石碑があります。山門をくぐると、正面に本堂が見えてきます。二重屋根でその上屋根の妻が見えるあまり見かけない屋根の形です。本堂内に入ると、立派な御宮殿が正面にあります。外に出ると、本堂左脇には八房の梅の木と鏡池があります。この鏡池はここ岡崎別院の機関紙の名前になっていて、別名「姿見の池」と呼ばれています。聖人が越後流罪になった際に、ここの鏡池に自分の顔を映したといわれています。また「八つ房の梅」は親鸞聖人のお手植えといわれています。

 また岡崎別院は僧侶の学び舎でもある大谷専修学院が別院の左手にあります。その裏手には庭園があり、その一角には信國淳元院長の言葉「われら一向に念佛申して 佛天のもと 青草びととなりて 祖聖に続かん 淳」と刻まれています。裏には「記 信國淳先生は信心の人として南無阿弥陀仏こそが我らの『我が名』であり阿弥陀仏の浄土こそが我らの『我が国』であることを、その一生をつくして獅子吼され、昭和五十五年二月に示寂された。先生のご遺言を青草碑として刻み、先生がわれら群萌の中に永遠に今現在されることを願う 昭和五十七年二月五日」とかかれています。またその庭園には池があり、その中央には赤い橋がかかっています。この橋を「必度橋(ひつどばし)」といい、こちらも信國氏の命名で善導大師「二河喩(にがひ)」の「すでにこの道あり、必ず度すべし」に由来するそうです。2009年に京都教区山城2組の方々により架け替えられたと立札があります。庭園は静かで椅子もありゆっくりできていいですね。そのあちらこちらに結婚式記念樹の立札が立っています。また訪問した時は、日本舞踊でしょうか、踊りの稽古をされていて、一般にも開放されているようです。開かれた別院を目指して、色々工夫されているなあと感じました。