法住寺 
親鸞聖人そばくいの木像
【宗派】天台宗
京都市東山区三十三間堂廻り町655 
         

親鸞聖人そばくいの木像ってご存知ですか。その昔親鸞聖人が比叡山で修行されていた時代、比叡山の修行に疲れ果てて、京都の町の中にある六角堂へ百日間お参りし、明け方になって戻ってくるということを続けていました。毎晩出かける親鸞を見て、他の弟子たちは女にうつつをぬかしているのではないかと噂するようになりました。その噂を聞いた師匠の慈鎮和尚は親鸞の人柄を知っていたため、その噂を信じることができませんでした。そのため、ある夜、門下の弟子を集め、ひとりひとりの名前を呼び上げることにし、その当時の親鸞の名前「範宴」と呼ぶと、範宴は「はい」と返事をしました。親鸞は下山などをしていない、やはり噂だったのだろうと和尚は安心し皆にそばをご馳走し、親鸞も食べられたそうです。翌朝、そんなことを知らない親鸞が比叡山に戻ってくると、一同は驚き、親鸞の座像の口に「そば」がついているのを見つけました。何と、親鸞が範宴として返事をし、そばを食べていたのは親鸞みずから彫ったといわれる、木像だったのです。後に、親鸞が浄土真宗を開き、高僧として有名になると、この木像は「親鸞そばくいの木像」として知られるようになりました。

私はこの像のことを、大谷大学名誉教授の故堅田先生からこの像を調べてきてくれといわれ、ここ法住寺様に初めて訪問させていただいたのが、こちらのお寺を知るきっかけとなったのです。堅田先生が興味を示しておられたのは、親鸞が生きた鎌倉時代になぜ真宗以外の他宗派で親鸞の木像が存在するのだろうかということです。前にご紹介した比叡山「大乗院」にも同じくらいの木像があります。そのことは先生の著書「真宗史考叢(しんしゅうしこうそう)」に載っていますので、ご興味のある方は一読してみてください。

最初の訪問したのは2000年頃にお伺いしたと思いますが、2012年の現在、本堂も改修され新しくなっています。2000年当時は、そばくいの木像しか目に付かなかったのですが、

その同じ内陣には平安仏所の江里康慧氏が1991年に製作された「後白河法皇」の木像が安置されています。今回訪問すると、NHKの大河ドラマ「平清盛」でその後白河法皇とのゆかりのあるこのお寺へ多くの観光客が押し寄せていました。伝説の真偽はともかく、親鸞ゆかりの地をまわり、その心意気を感じるのもまた一興ではないでしょうか。