難波別院  
大谷派難波別院(大阪市中央区本町4-1-3)

          

今回は、前回に続き大阪の御堂筋沿いにある別院、北にある津村別院に対して南にあることから、『南御堂』の愛称で親しまれている難波別院です。こちらは、境内に駐車スペースがありましたが、少し南の有料駐車場に止めました。歩いて向かって行くと、茶色いホールが見えてきます。案内によるとここは大ホールになっていて収容人員はなんと約900人だそうです。京都会館第二ホールと同規模ですね。境内に入ると、正面に本堂、右に同朋会館が見えてきます。左手には鐘楼がありますが、鉄筋造りと木造造りの二つの鐘楼があります。木造の方の梵鐘は「大谷本願寺文禄五(1596)年丙申暦 第四日」の銘が刻まれています。教如上人が大阪に本願寺を開創してから一年後のことなので、貴重な文化遺産です。本堂は本山御影堂を模した二重屋根の鉄筋造りですが、こちらは昭和20年の戦火で焼けた後に昭和36年に再建されました。しかしながら、その昔教如上人がいらっしゃった頃の本堂は、京都に本願寺が建設される際の、参考にされたという説もあります。本堂が改築中なので、パンフレットから目が注がれたのが蓮如上人の御木像です。説明文によると昭和53年に日本彫刻界の巨匠 澤田政廣氏によって製作されたものだそうです。お顔ががっちりした上人像ですね。一方外回りを見ていきますと、先ほどの木造の鐘楼の近くの緑地帯(獅子吼公園と呼ぶようです)には松尾芭蕉の句碑がいくつかあります。これは、難波別院の門前で花屋を商う花屋仁左右衛門の離れ座敷で 元禄七年 (1694)年10月12日 午後4時頃に51歳でなくなった松尾芭蕉を偲び、平成2年に建てられた「翁忌二行噛む晴れても時雨れても 阿波野青畝」 の句碑と「金色の御堂に芭蕉忌を修す 山口誓子」の句碑、そして天保14(1843)年の芭蕉150回忌に建てたと思われる有名な芭蕉の辞世の句「旅に病んで 夢は 枯野を かけめぐる」の句碑があります。また御堂筋沿いの緑地には芭蕉終焉の地として「此附近芭蕉翁終焉ノ地ト傳」の石碑があります。あちらこちらで芭蕉の句碑を見かけましたが、ここが芭蕉最後の地と知ると感慨深いものがあります。11月に芭蕉忌法要と句会が催されるようです。南御堂は真宗大谷派のご旧跡であるとともに俳句をたしなむ方にとっての聖地であるとしみじみ思いました。