私のお寺めぐり/香華堂報144号[2013,01/01発行]

赤野井別院 
本願寺派赤野井別院(滋賀県守山市赤野井町326番地)
真宗大谷派赤野井別院(滋賀県守山市赤野井町328番地)

            

京都市内から車で国道161号線を通り、琵琶湖大橋を渡って行きました。盆地育ちの私にとって、海といえば、琵琶湖(本当は湖ですが)。琵琶湖を見ると心が晴れ晴れして、時間があればいつもでも眺めていたい場所です。琵琶湖大橋を渡って真っ直ぐに道なりに進むと洲本町という交差点があります。そこを右に曲がると、大きな伽藍が二つ見えてきます。赤野井町という交差点を左に曲がるとすぐに東西の赤野井別院が向かい合わせで見えてきます。まずは東別院からおまいりです。伽藍は九間四面の大きな本堂で、境内も広く真宗寺院らしいお御堂です。車を止めるとすぐそばに、御廟があります。調べてみると教如上人の御廟のようです。教如上人は大谷派12代の法主(その当時の呼称)で、東西分派後の大谷派の初代でもあります。東別院はその教如上人が別派独立されたとき、湖南地方六十ヶ寺の参加を得て、上人の為にこのお堂が建立されたようです。本堂に入ると大きな外陣と内陣で近年御宮殿はお洗濯されたようで、きれいになっています。外陣の柱に「蓮如上人歯型の葦(あし)」が貼り付けてありました。調べてみると、蓮如上人が空腹の時に、葦の葉を噛んだという伝承が残っていて、このあたりの自生した『葦』にはこの歯型があります。また赤野井浜には蓮如上人ゆかりの柳の木があります。これは由来からきているようです。上人が堅田から舟にのって対岸の赤野井浜へ到着し昼食をとろうとしたのですが、お付きの方が箸を忘れてしまい、そこで近くにあった柳の枝で代用しました。食事の後、その箸を地面につきさしておいたら、それが大きな枝垂れ柳になった由来からきているようです。

次に西別院へおまいりです、入り口にある大きな太鼓堂が目印になります。こちらも伽藍は大きいです。普段は人がいらっしゃらないようで、本堂を含め戸締りしてありました。西別院の発祥は室町時代までさかのぼります。本願寺3代覚如上人の息子、存覚上人が草庵を結び、その後蓮如上人が居住しお寺を建立しました。息子の蓮淳が住職として住むようになりました。現在の本堂は江戸時代に10年の歳月をへて再建されたようです。とうざ

大きな真宗寺院を東西、一度に見られる数少ない場所です。