越後七不思議(山田の焼鮒)/香華堂報126号[2011,07/01発行]

田代家
【所在地】新潟県新潟市山田646 

1990年(平成2年)頃、田代家にはお得意様の団参でお伺いしたことがあります。、その当時は周りに家もなく離れたところにバスが止まり、のんびりとした田園風景の中にある記憶だったのですが、今年2010年(平成22年)、久しぶりにお伺いした所、マンションや家が立ち並び、周りの風景はすっかり様変わりし探すのに苦労しました。市立山田小学校を目印に、近所の電気屋さんで場所を聞いて、家の前にある『見真大師 焼鮒御旧蹟』という石碑にやっとたどり着くことができました。今回は普通乗用車なので家の前に駐車させていただき玄関の扉を開けます。中から出て来られたのは、ご年配の奥様でした。突然お伺いした非礼をお詫びし、中に通してもらいました。
左手の座敷に焼鮒が安置されている御厨子があります。いつもはお厨子の扉は閉められていているのですが、ご開帳してくださいました。上には焦げた榎木に親鸞聖人のお姿の写真が、下の榎木には鮒形の姿が見えます。言い伝えによると、親鸞聖人がこの地を離れる際に、この地にあった山王神社で別れの宴をされました。その宴にとある村人が持ってきた焼鮒を、聖人は御洗水(みたらし)池のほとりの榎木に袈裟をかけ、「我が真宗の御法、仏意にかない、念仏往生間違いなくんば此の鮒、必ず生るべし」と南無阿弥陀仏と言いながら、池に放つとその鮒は生き返ったそうです。聖人はお念仏の尊さが後世の人々にも伝わるように、袈裟を掛けた榎木にわが心を残すと言われ、この地を離れました。村人たちは、この榎木を「お別れの袈裟かけの榎木」と名付け、大切に守ってきましたが、寛政8(1796)年の台風で倒れてしまったそうです。その二股に分かれた幹の切り口からお念仏をされる聖人様の姿が現れました。そして驚いてもう片方を挽き割わると、お別れに差し上げた鮒が木の芯のどこを切っても中心に現れたそうです。 残念ながら親鸞聖人のお姿とご真筆は昭和23年に火災で燃えてしまい、現在は焦げた榎木に写真が貼られています。鮒を放たれた池も今は埋め立てられ、年々当時の面影はなくなりつつありますが、門徒ではない方が個人でお守りしていただいていることに感謝しなくてはとつくづく思いました。個人のお宅なので、出来れば事前に電話で予約していただきとのことでした。