恵信尼御廟所
【宗派】浄土真宗本願寺派(本願寺国府別院の飛地)
【所在地】新潟県上越市板倉区米増27番地4
親鸞聖人と結婚されたのは恵信尼公という方でその御廟所が居多ヶ浜から約30分、山手の『ゑしんの里記念館』に隣接してあります。ここがなぜ、恵信尼公が晩年を過ごし、亡くなられた場所を示すかといいますと、恵信尼公が娘の覚信尼に送った十通の手紙の第九通の末尾に『わかさ殿申させ給へとひたのまきより』という文の最後の一文の『とひたのまき』がこの地区を表しているのではないかといわれてるからです。また、御廟にある『五輪塔』が、この地区の古文書に『五里ん田』の地名があり、第七通に五重の塔を注文したことが書かれていることから関連付けられました。元々は田んぼの真ん中に五輪塔はありましたが、昭和40年代に御名号が埋め込まれた塀ができあがり、現在の形になったのは平成16年頃です。本願寺派の大谷嬉子前裏方が書かれた『恵信尼公の生涯』で、「~異説はあるけれども、どちらにしても、これと確定し得る尼公の墓はおそらく発見されまいから廟所と呼ばれるようになったけれども、私は、尼公の顕彰碑として、後々まで伝えてゆきたいと思う」と述べられています。 さて、私が訪問した時は夕刻で雨が降っていましたが、記念館から御廟へ向かう出口に傘が置いてあったので、それをお借りして、御廟へ向かいました。きれいに整備された石畳を歩いて行くと、教会風のアーチ型の屋根の下に六字名号があり、その横に五輪塔が樹齢600年といわれる、こぶしの木とともに置かれていました。 『ゑしんの里記念館』に戻り、ビデオ鑑賞と展示物の見学です。ここは午前9時~夜9時まで開館しているのでゆっくりみることができます。まずビデオ鑑賞は、三人の方が恵信尼公について話されていましたが、初めの松野純孝氏が「恵信尼公がかかれた字は親鸞聖人よりも力強い字体だ」とおっしゃっていたことが心に残っています。展示のお手紙を見てもしっかり線が描かれています。性格も強いお方だったのでしょうか、いつの時代も女性は強いですね。
おすすめ情報
『史跡』
五輪塔(鎌倉時代)
※隣接するゑしんの里記念館は月曜日休館 開館時間 午前9時~午後9時 入館料 無料