光源寺 
【宗派】真宗大谷派
【所在地】上越市国府1-4-1

親鸞聖人が国府に配流中、木曽義仲の一家臣が聖人に深く帰依し覚円坊最信という名前をもらいました。最信は聖人が関東に行かれた後に『覚円坊』というお堂を建て、その後教如上人より寺号を与えられ『光源寺』と改称しました。その後、享保17年(1732)東本願寺17代真如上人の時に本山の抱地となり、高田別院の支院として「国府御坊」と呼ばれましたが、その後、支院と光源寺とを併せて一寺となりました。 お寺は道沿いにあり、門前に立つとしっとりした印象です。『見真大師御旧跡』と書かれた石碑に迎えられ参道を歩いて行き、小さな門をくぐると正面に本堂が見えてきます。中に入ると正面の御厨子の中に親鸞聖人の大きな掛軸が掛かっています。このような光景をあまり目にしないので、不思議な感じがします。この掛軸は流罪赦免後、聖人自らが写したとされる『流罪赦免御満悦の御真影』といわれています。ちなみに、ご本尊阿弥陀仏御木像は向かって右余間に安置されています。 また、親鸞聖人七不思議のひとつ、親鸞が植えた梅干の種から育ったと伝えられるひとつの花に八つの実がなる八重咲きの梅の木、いわゆる『八房の梅』があります。(一般的には新潟県阿賀野市の梅護寺が有名) 境内には、高浜虚子の『野菊にも配流のあとと偲ばるる』やその息子や孫の高浜年尾『櫓田の実入り吹かれてゐることも』稲畑汀子『梅雨晴れてそこに心のある如く』の句碑があります。案内板によると、高浜虚子の句碑は昭和21年に光源寺で詠まれた句を親鸞聖人配流750年記念事業の一環として、昭和31年に建立されたようです。2007年には親鸞聖人配流800年の俳句大会が行われ、俳句に縁が深いお寺様だと感じました。

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『建築』
本堂(御本尊と親鸞聖人御影が併設されている)