本願寺国分別院 
【宗派】浄土真宗本願寺派
【所在地】上越市国府1丁目7番1号

『竹の内草庵』から妻の恵信尼公と移り、七年間住まわれたのが『竹之前草庵(たけがはなそうあん)』があったと伝えられるのが、この国府別院です。国府別院は参道が長く、その入口には親鸞聖人配所御旧跡の看板があります、そして、そのすぐ奥に『小丸山御旧跡』の石碑が立っています。ここは、親鸞聖人が関東に移られる前に草庵を開いておられた所です。聖人が関東に移られたあとは、門弟の覚善が草庵を守っていましたが、その後荒廃してしまいます。元は天台宗宝持院の土地でしたが、明治4年(1871)西本願寺が土地を買い求め、明治9年(1876)「小丸山別院」と称します。その後、昭和5年(1930)、「本願寺国府別院」と改称されるようになりました。奥に進んで行くと、左手に国府別院の石碑がありいよいよ本堂が見えてきます。その前右手には親鸞聖人が門弟を連れて歩かれた銅像が、左手にはもう今は伐採してなくなりましたが、『袈裟掛けの松』があったことを示す案内板があります。 さて、本堂ですが、入ってすぐ目を引くのは、同じ須弥壇の上に、向かって右側に御本尊木像を安置した宮殿が、向かって左側に親鸞聖人の掛軸が掛かっている御厨子が並んでいることです。いかに聖人を慕われていたかが推測できます。本堂内は、2007年に中越沖地震に被災されたにもかかわらず、すぐに修復されたようで、金箔や彩色がとても見事でした。天井絵も昔の絵を修復されています。職業柄こういうところに目が行きますね。 本堂正面虹梁には『思徳発信場』とかかれた額があります。どなたかが書かれたかは不明ですが、龍谷大学元学長・千葉先生が袈裟掛けの松の案内板に書いておられる『聖人のお念仏を受け継ぐものは「一切の有情は皆もって世々生々の父母・兄弟なり」との聖人思召を体してあらゆる草木・地球上のすべてのいのち、との共生をはかるべきであります。』の思いが発信されているように思えてなりませんでした。

おすすめ情報

『建築』
本堂(同一須弥壇上に阿弥陀如来像・親鸞聖人御影)