五智国分寺(養爺清水、鏡ヶ池)
【所在地】新潟県上越市五智3-20-21
還俗され藤井善信となった親鸞聖人は、越後の国頸城郡郡司、荻原民部少輔年景のもとに案内され、粗末な小屋に移られました。小屋の名は『竹の内草庵』といいます。当時、武士であった萩原氏が弓矢や槍に竹を用いたことから、武士の館を竹の内と呼んだことに由来してこの名が付いたようです。草庵は天台宗の五智国分寺本堂の向かって右側にあります。現在の建物は近隣の僧侶によって明治6年に建てられたもので、中には親鸞聖人の木像が安置されています。この像は聖人が39歳で赦免された時に、別れを惜しむ御同行に対し世話になったと、五智国分寺裏側にある鏡ヶ池に剃髪したお姿を映して像を刻まれたといわれています。そのことから『御自刻の御真影』といわれています。普段はこの草庵には入れません。拝観には連絡が必要です。草庵手前には大きな親鸞聖人像があります。これは広瀬精一という三重県出身の方が次男をわずか23日で亡くされたことを機に聞法に励まれ、100体の仏像(特に親鸞聖人像)を世界中に寄贈されることを発願されました。その346番目と347番目に作られた像が、居多ヶ浜の見真堂座像とこの国分寺の聖人像になるそうです。また手前には句仏上人の句碑が。『御配所我れなく夜半を郭公(ごはいしょわれなくやわをほとどぎす)と。聖人の虚しい気持ちを詠まれたのでしょうか。さて、境内右にある幼稚園の手前を右に出て、次の交差点を左に行くと養爺清水があります。聖人が日常の飲料水や、文筆の硯水などに使用していたされるのがこの清水です。ちょろちょろ出ていたので、少しすくって飲みましたが冷たくておいしかったです。鏡ヶ池は本堂裏側に出て、道を挟んで反対側、右の方に行くとあります。こちらは案内板もあり、きれいに整備されていました。奥の高台から全景が見えます。国分寺の境内には聖人像や句碑だけでなく様々な石碑があります。親鸞聖人を慕う方がいかに多いかを感じたご旧跡でした。
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