私のお寺めぐり/香華堂報79号[2006,08/01発行]

醍醐寺

宗派【真言宗醍醐寺派】

場所【京都市伏見区醍醐東大路町22】

京都の中心地より南東に醍醐寺は位置します。車で行くのが便利ですが、地下鉄東西線醍醐寺駅からもバスで20分です。私が行ったときは雨でしたが、花見のシーズンだったので、人、人、人。傘をさしながら庭の素晴らしい三宝院を見たあと、室内から霊宝館のしだれ桜をゆっくり見て、その美しさに圧倒されました。それから、三宝院の唐門を横目で見ながら、仁王門に向いました。門を抜けると、左手に金堂、右手に五重塔が見えてきます。ここの五重塔は全体的な印象は男性的ですが、女性的な繊細さも感じさせる塔です。色々調べてみると、初重から五重までのバランスがすごくいいそうです。醍醐寺の五重塔は日本三名塔と呼ばれ、後の二つは奈良・ 法隆寺と山口・ 瑠璃光寺です。

お寺の創建は貞観16年(874年)、空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が准胝観音(じゅんていかんのん)並びに如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開き、聖宝が山頂付近を「醍醐山」と名付けたのがはじまりとされています。

毎年4月第2日曜日に太閤秀吉が約1300名を従えて行った花見行事にならい豊太閤花見行列が催され、盛大ににぎわいます。境内にある桜の木の前には寄付をされた方全員の名札が立っていて、桜の成長を見がてらまたお寺におまいりしたくなるという気持ちを自然とうみだしているように感じられました。また、二月に開催される、大きな鏡餅を持ってどれくらい歩けるかという「五大力さん」は京都の風物詩になっています。

 

おすすめ情報

『時期』

五大力尊仁王会(毎年2月23日)

豊太閤花見行列 (4月第2日曜日)

『建築』

   五重塔 (平安時代) 国宝

   金堂   (平安時代) 国宝

   三宝院

唐門 (桃山時代)国宝

表書院(桃山時代) 国宝

  上醍醐

   醍醐寺清滝宮拝殿(室町時代)国宝

   醍醐寺薬師堂(平安時代)国宝

 

『彫刻』

上醍醐

 薬師三尊像(平安時代)国宝

私のお寺めぐり/香華堂報78号[2006,07/01発行]

一心寺

宗派【浄土宗】

場所【大阪市天王寺区逢阪2丁目8-69】

一心寺は、文治元年(1185年)、法然上人が仏堂を建て、後白河法皇がこの地で一緒に「日想観」を修した故事をもって開基とされています。元和元年(1615年)大坂冬・夏の陣では徳川家康が茶臼山一帯、なかでも一心寺を本陣としました。

天王寺駅を降りてビルの谷間を抜け、四天王寺西門の石碑が見えたら左に曲がると、銀色の斬新なデザインの山門が見えます。現代的な彫刻の阿形・吽形像の間を抜け大本堂に向います。一緒に行った友人は、“これがお寺?”とびっくりした様子でした。山門はここの前住職である高口恭行氏の設計です。大本堂には京都 百万遍 知恩寺からお迎えした阿弥陀如来座像が安置されています。最近修復されたので、それは美しく、後背にも無数の化仏(けぶつ)が配されています。真横でも見られるので圧巻です。

 そして、このお寺様のもうひとつ大きな特徴は“お骨仏(おこつぶつ)”と呼ばれるものです。“お骨仏”とは亡きお方の骨を細かくし、それをコンクリートと接着剤で固め仏像にすることです。宗派関係なく受け入れておられるようなので、年間1.5万~2万体の納骨があるそうです。多くの人々と一緒に仏様という具体的なお姿になれることや、将来までお寺でおまいりしてもらえる安心感、参拝される方にとっては、そのお顔の中に亡き方の面影を偲ぶことができるということから、たくさんの申し込みがあるようです。

 

 

おすすめ情報

『建築』

   山門 (1997年完成) 前住職 高口恭行氏設計

 

『彫刻』

山門仁王像 (1997年) 神戸 峰男(かんべ みねお)

私のお寺めぐり/香華堂報77号[2006,06/01発行]

新薬師寺

 

宗派【華厳宗 別格本山】

 

場所【奈良市高畑福井町1352番地】

 

新薬師寺は天平19(747)年、聖武天皇眼病平癒の為、勅願により光明皇后によって建立されました。場所は奈良公園などの中心部より、東の方にあります。近鉄奈良駅を降り、春日神社の森を抜けてお寺に向かいました。新薬師寺とは薬師寺の新しいお寺、という意味かな?と思っていましたが、お寺の案内によると「新」という文字はあたらしいという意味ではなく「霊験新たかな」という意味だそうです。

 

境内は南門から入り、本堂には西から入堂します。入り口にあった「お堂には本尊薬師如来像と十二神将が安置されています。十二神将は各干支になっておりますが、一体だけは国宝ではありません」という文字を見て、自分の干支である「午」は国宝であってほしいな、とドキドキしながら一体一体見ていきました。幸い「午」は国宝でしたが、どの干支が国宝でないかは、現地に行って確かめてくださいね。

 

 東側には2002年に新調されたステンドグラスがあり、東からの光を堂内に優しく照らしています。ステンドグラスが新調されたというニュースを聞いた時は、古いお寺の本堂と西洋のステンドグラスが調和するのかという疑問もありましたが、今回実際に見てみると違和感はなく、しっくりとその場になじんでいました。

 

 隣には奈良市写真美術館、駅への帰り道にも志賀直哉旧居などがあり、のんびりとした時間が過ごせます。

 

おすすめ情報

『時期』

   4月8日 おたいまつ(修二会)

  9月中秋の名月 観月会

 

『建築』

   本堂 (奈良時代) 国宝

   南門 東門 鐘楼 地蔵堂 (鎌倉時代) 国指定重要文化財

 

『彫刻』

本尊薬師如来 (平安時代) 国宝

十二神将 塑像 (天平時代) 国宝(一体を除く)

私のお寺めぐり/香華堂報76号[2006,05/01発行]

常照皇寺

【宗派】臨済宗天竜寺派

【所在地】 京都市右京区京北井戸町丸山14

1362年開創(かいそう)。正式には「大雄名山万寿(だいおうめいざんまんじゅ)常照皇禅寺」、以前は「常照寺」と略称していたそうです。京都の市内から北へ約一時間、京都に生まれ育った私でもこの地に来るのは初めてです。ちょうど桜のシーズン、観光客の車でごった返していました。門前には紅枝垂れ桜が迎えてくれます。総門をくぐると、勅額門、勅使門とつづく石段を歩いて行きます。庫裏から入り、方丈へ向かうのですが、そこには座敷の真ん中に神棚をまつるように仏像が安置されています。おそらく仏像奥の庭がこのお堂のどこからでも見ることができるように造られたのではないかと思います。方丈の向こうには怡雲菴(いうんあん)開山堂があり、両側上にライトアップされた十六羅漢像、正面上には方丈と同じく上段に弥勒菩薩像があり、その下を通り抜けると奥にここのお寺の開山である南北朝時代の北朝初代上皇、光厳院像が安置されています。私はここの左側に安置されている阿弥陀三尊来迎像が小さいながらもよく彫れているなあと思いました。また床が石畳なので、ヒンヤリした感じが緊張感を感じさせます。境内には御車(みくるま)返しの桜や、九重桜、左近の桜などもあり、花のお寺としても有名です。また、境内には30分ほどで回れる自然散策路もあるのも楽しみのひとつです。

 

 

 おすすめ情報

『時期』

   4月20日前後 桜

 

『彫刻』

阿弥陀三尊来迎像(平安時代) 国指定重要文化財

私のお寺めぐり/香華堂報75号[2006,04/01発行]

増上寺

【宗派】浄土宗大本山

【所在地】 東京都港区芝公園4丁目7-35 

JR山手線浜松町駅を降り、高層ビルの間を抜け、まず目にするのが、三解脱門です。そして大殿(本堂)に向かって歩くと、バックに東京タワーが見えます。東京の大都会の中にこれだけ大きな境内があるのが驚きです。増上寺は徳川家の菩提寺としても有名で上野の寛永寺と並び6人の将軍(秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂)が埋葬されています。創建は1393年、酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)上人によって、当初、江戸貝塚(現在の千代田区紀尾井町)の地に、開かれました。1598年現在の地に移され、その後は徳川幕府によって手厚い保護を受けました。境内の建物は1945年の空襲によってその霊廟などは失われましたが、三解脱門(さんげだつもん)、経堂(きょうどう)、御成門(おなりもん)はその戦火を逃れました。大殿は1974年に開山堂は1988年に再建されました。また、普段は非公開ですが、安国殿にある秘仏黒本尊(阿弥陀如来像)は家康が非常に尊崇し、災難除け、戦の勝利を得たとされ、今でも勝運、厄除けの仏様としておまいりされています。帰りは暗くなっていましたが、東京タワーがライトアップされ、幻想的な雰囲気になっていました。

 

 

 おすすめ情報

『時期』

   4月2日~7日御忌大会(ぎょきだいえ)法然上人ご命日

1月・5月・9月の15日(黒本尊ご開帳)

 

『彫刻』

阿弥陀如来像(室町時代)

秘仏黒本尊(阿弥陀如来像) 伝 恵心僧都作

 

『建築』

三解脱門(江戸時代)【重要文化財】

徳川家将軍墓所

私のお寺めぐり/香華堂報74号[2006,03/01発行]

浄土寺(じょうどじ)

【宗派】高野山真言宗

【所在地】 兵庫県小野市浄谷町2094

  車で行くと山陽道三木小野インターを降りて、10分くらいのところにあります。休みの日に行ったのですが、人もまばらでゆっくりと拝観できました。電車だと、神戸電鉄小野駅から神姫バスに乗り10分ほどで到着します。お寺自体が平坦な場所にあるので、駐車場やバス停からもすぐに浄土堂におまいりできます。

 このお堂には快慶作の阿弥陀三尊仏が安置されています。ご本尊の阿弥陀如来像は鎌倉時代初期に東大寺を復興した重源上人よって造らしたといわれる、非常に巨大な立像いわゆる丈六(5.3m)の仏様なので、圧巻です。この仏像の特徴はご面相が非常にふっくらしていて、爪がすごく長いことです。私は快慶の緻密で繊細な仏像が大好きです。快慶作の仏像は3尺(90cm)くらいが多いですが、こんな巨像はないので、浄土堂までは心躍りながら向かいました。また、両脇の観音・勢至像も高さ3.7mもあります。堂内は外陣・内陣の区別がなく仏像の後ろまで回りこんで見ることができます。また、この阿弥陀三尊仏は東向きに立っていらっしゃるので、夕方になると、後ろからの西日が後光のように見えるらしいです。昼間は仏像の後ろ側の蔀戸(しとみど)(格子の扉が)が開け放れていているので、そこから光が入ってくるようです。私は午前中に行きましたのでわかりませんでしたが。仏像好きな方には是非お勧めしたいお寺です。

 

 おすすめ情報

『時期』

春・秋の彼岸 西日のご来光

 

『彫刻』

阿弥陀三尊像 快慶作(鎌倉時代)【国宝】

 

『建築』

浄土堂(鎌倉時代)【国宝】

私のお寺めぐり/香華堂報73号[2006,02/01発行]

瑞龍寺(ずいりゅうじ)

【宗派】曹洞宗

【所在地】 富山県高岡市関本町35

  山門をくぐり、境内に入るとまず目に飛び込むのが青々とした芝生です。そして正面には仏殿、法堂が一直線上にあり、そして、それを取り囲む回廊が見事に調和し、すがすがしさを感じます。禅宗の伽藍配置のお手本となるお寺で、伽藍瑞龍とよばれます。

 加賀藩二代藩主前田利長公の菩提を弔うため、1663年、三代藩主利常公によって、約20年間を要して建立されました。高岡駅より徒歩10分、車でもお寺のすぐ近くに無料大駐車場があり、平坦ですので足のお悪い方でもお参りできます。

仏殿に入ると釈迦三尊がすぐ手の届きそうなところにあるので、すごく親しみを感じます。屋根は金沢城石川門とここにしかない鉛板によって葺かれています。これは雪対策と、戦(いくさ)が始まったときに鉄砲の弾に作り変えるためだったそうです。

法堂(はっとう)は書院造りの落ち着いた雰囲気で正面に前田利長公の位牌が安置されています。また、欄間の長押と柱を合わせると、鳥居の形をしています。これはボランティアの方の説明によると、昔から高岡は天神信仰がさかんで、こっそり組み込ませてしまったそうです。

平成9年に仏殿と法堂そして山門が国宝に指定されました。建造物としては法隆寺綱封蔵の国宝指定(昭和42年)以来実に30年ぶりです。ちなみに私の妻の実家まで徒歩5分です。昔は静かで誰でも気軽に入れたお寺でしたが、最近は観光客も増え地元でいちばんの有名スポットとなっているようです。

 

 

 おすすめ情報

『時期』

利長忌 薪能記念文化講演   5月20日

宝物展 11月1日~3日(保存会主催)

 

『建築』

仏殿・法堂・三門(江戸時代)【国宝】

 

総門・禅堂・高廊下・大茶堂・回廊『重要文化財』

私のお寺めぐり/香華堂報72号[2006,01/01発行]

浄瑠璃寺(じょうるりじ)

【宗派】真言律宗

【所在地】 京都府相楽郡加茂町西小

  浄瑠璃寺は京都の南部に位置し、京都駅からJR奈良線、関西線を乗り継ぎ加茂駅まで約一時間、そこからバスに乗り換えさらに20分ほどかかります。奈良駅からもバスがあります。京都市内のお寺とは違い、ひっそりとした佇まいで、人もまばらです。開基は738年(天平11年)で行基(ぎょうき)によって開かれたといわれています。    

ここのお寺の見所は何といっても九体の阿弥陀像です。中尊の丈六(じょうろく)の阿弥陀像をはさんで両側に4体ずつの阿弥陀像が並んでいます。これは往生に至る下品下生(げぼんげしょう)から上品上生(じょうぼんじょうしょう)までの九つの状態を表現しているといわれています。三十三間堂の観音像ほど多くはありませんが、九体ある阿弥陀如来像は圧巻で、女性に人気のあるようです。人は大きなものや多くあるものに惹かれるのでしょうか。また、『吉祥天女像』も有名です。知り合いの木地師の職方によれば、このお像を安置しているお厨子の屋根のそりが素晴らしいとのことです。境内には池をはさんで、反対側に三重の塔があり、本堂ともに国宝です。山門前には茅葺(かやぶき)の食事処もあります。

人里離れた場所ですが、ひっそりと訪れるには最適なお寺かもしれませんね。帰りのバスも少ないので、早めのお出かけをお勧めします。

 

 おすすめ情報

『時期』

秘仏開扉

大日如来   毎年1月8日、9日、10日

薬師如来像 毎月8日、正月三ケ日、

         春分、秋分の日

吉祥天女像

正月元日~15日

   春 3月21日~5月20日

   秋 10月1日~11月30日

 

『建築』

本堂(平安時代)【国宝】

三重塔(平安時代)【国宝】

 

『仏像』

阿弥陀如来像九体(平安時代)【国宝】

 四天王像(平安時代)【国宝】(現在2体は東京・京都国立博物館) 薬師如来像(平安時代)【重要文化財】 吉祥天女像(平安時代)【重要文化財】

私のお寺めぐり/香華堂報71号[2005,12/01発行]

銀閣寺(慈照寺)

【宗派】臨済宗相国寺派

【所在地】 京都府京都市左京区銀閣寺町2

  銀閣寺は1482(文明14)年室町幕府足利義政によって造営された山荘東山殿(ひがしやまでん)がその起源で、正しくは東山慈照寺(とうざんじしょうじ)といいます。義政公の没後、臨済禅宗の寺院となり義政公の法号慈照院にちなんで慈照寺と名付けられました。銀閣寺の名の由来は当初金閣寺の金箔に対し銀箔が貼られる予定もあったようですが、簡素な趣から義政の死後江戸時代にこう呼ばれるようになりました。

 銀閣寺の象徴ともなっている観音殿は国宝で、初層を心空殿(しんくうでん)、ニ層目を聴音閣(ちょうおんかく)といいます。手前の白砂との組合せが字の如く“いぶし銀”です。その隣の東求堂(とうぐどう)は日本最古の書院造りの建築で国宝にも指定されており、床の間の起源となったところでもあります。東求堂という堂名は義政が決めたもので、「東方の人、念仏して西方に生まれんことを求む」という法語に由来しているそうです。

 私は拝観券を買って観音殿へ通じる生垣に囲まれた道や東側にある小山から見下ろす景色が、お寺全体を見渡せて好きです。銀閣寺を訪れるには南にある哲学の道を歩いて行くのも素敵です。春には桜の花道にもなります。

 

 おすすめ情報

『時期』

春及び秋の特別公開(東求堂が拝観)

 

『建築』

観音殿【国宝】

東求堂【国宝】

私のお寺めぐり/香華堂報70号[2005,11/01発行]

金閣寺(鹿苑寺)

【宗派】臨済宗相国寺派

【所在地】 京都府京都市北区金閣寺町1

  この地は、鎌倉時代に西園寺公経(さいおんじきんつね)の別荘北山第が在りましたが、三代将軍足利義満が、応永四年(1397年)に西園寺家から譲り受け、山荘北山殿を造りました。金閣寺の名は、舎利殿(金閣)がよく知られていることからある通称になっていますが正しくは義満の死後、法号鹿苑殿の二字をとり北山鹿苑寺(ほくざんろくおんじ)と名けられました。 

 駐車場から林の中を歩いていくと総門があり、そこで拝観料を払いますが、ここの拝観券は変わっていて金閣舎利殿御守護と書かれたお札がもらえます。そして、いよいよ金閣との対面です。手前には鏡湖池(きょうこち)を控え、天気のいい日には水面に写ります。

 金閣は初層が寝殿造(しんでんづくり)で法水院(ほっすいいん)、二層は武家造で潮音洞(ちょうおんどう)とよばれています。三層は、中国風の禅宗仏殿造で究竟頂(くっきょうちょう)とよばれ、三層別々の様式ですが、見事に調和しています。二層と三層は、漆(ウルシ)の上から純金の箔が張ってあり、屋根は椹(サワラ)の薄い板を何枚も重ねた柿葺(コケラブキ)で、上には中国でめでたい鳥といわれる鳳凰(ホウオウ)が輝いています。

 

 

おすすめ情報

『時期』

不動堂開扉法要(2月3日節分、8月16日大文字送り火)

 

『建築』

金閣【昭和30年再建】(紅葉時期、雪の金閣も素晴らしい)