コラム 仏法の壁
前回、前々回と仏壇の壁について書きましたが、今回は一般の人々が仏法についての本や書物、また、法話会などの仏様の教えに触れられる機会はどのような時なのか、考えてみました。一昔前までは両親、祖父母との同居が主でしたので、家にお仏壇が置いてあり、お坊さんがおまいりにこられ、仏さまについてのお話を聞く機会も多かったと思います。やがて祖父母は家で最期を迎えることとなり、子供たちも厳粛な死を目の当たりにすることで深い悲しみを体験しお仏壇自体も、ご先祖さまのことを想い身近なものになっていきます。
現在は核家族化が進み、長男でさえも別居ですから親の死に目に合うまで、仏法にも仏壇にもご縁のないことが多いです。妙好人さんのように生きている間に仏法に出会え、目覚めるというのは残念ながら“稀”です。多くの人々は出会えずに亡くなっていきます。
しかしながら、人々は多くの悩みを抱えています。最初に戻りますが、そのような時に仏教的な書物を手にすることは、その関係に携わる方でないとなかなか難しい気もしますし、法話会においてはなかなか通りすがりの人がお寺に入る訳にもいきません。電話で法話されたりもしますが、これからの時代はなんといってもインターネットでしょう。
ホームページをもたれているご住職にお話をお聞きすると、メールで悩みについての相談が数多く寄せられるそうです。こうして悩みを打ち明けられるのはまだいい方で、行き場のない悩みが多くの社会的事件として暴発しているのではないでしょうか。「仏の教えに触れる」、仏壇を販売している私にとってもこのことはこの仕事を通しての社会的役割と考えていますから、多くの手段でより多くの人々が接するよう仏法の壁を取り壊せればと思っています。
近年、交通機関を利用するとバスが車椅子用にノンステップになったり、地下鉄の駅のほとんどにエレベーターが設置されたり、バリアフリー化が進んでいることを目にします。その波は一般家庭にも普及し、段差のないお宅が多くなり、階段の手すりや補助棒を付けられることも多くなってきました。お寺も新築または改築される場合には、本堂入口横にスロープを付けられたり階段であっても、手すりに車椅子を引き上げる装置を付けられたりします。中にはお寺様で車椅子をご用意されている場合もあります。これは、車椅子に乗る方だけでなく、ご年配で補助車を使われる方にも楽に本堂に入ることができます。
京都には「車椅子でまわれる京都観光ガイド」という本があり(ホームページもあります)、各寺院別に車椅子での観光の可否から、境内または本堂までおまいりすることができるのか、段差はどの程度かの詳細なことまで載っています。お寺は文化財ですので後に手を加えてスロープなり補助装置をつけることは難しいかもしれませんが、◎のお寺様も多数あります。ちなみに東西本願寺は◎です。◎は本人一人、または介助者一人で概ね、拝観観賞できるところだそうです。私が、どなたでもおまいりできるようお寺でスロープをつくった話をニュースで聞いたのは長野オリンピックの際に多くの観光客がみえる善光寺さんだったと思います。
平均寿命が延び、高齢者が増え、生活様式の欧米化にともない本堂での椅子化はご存知のとおりですが、より多くの人々におまいりしていただけるように各寺院、手すりも本堂の雰囲気に合うよう茶色にされたり、呼び出しボタンをされたり工夫されているなあと思います。自分自身もゆくゆくはそういう身です、年老いて車椅子に乗ろうともあちらこちらにおまいりしたいものです。