コラム・私のお寺めぐり/香華堂報56号[2004,09/01発行]

コラム 

もう9月、お彼岸が近づきますね。私のお手次のお寺様でも彼岸会法要をされます。

京都では彼岸の中日に糯(もち)米の白蒸をつぶ餡やきな粉で包んだ和菓子をお仏壇のお供えする風習があります。この和菓子は、春は牡丹の花が見ごろなのに合わせ、ぼたんもち(ぼたもち)、秋は萩が見ごろとなる時分なので、「おはぎ」と呼びます。ところで、どうして彼岸にお寺で法要を勤めたりお墓まいりに行ったりするのでしょうか。春分(秋分)の日と彼岸の関係を少し調べてみました。まず、春分(秋分)の日は、1.太陽が真東から昇り、真西に沈む日2.昼と夜の長さが同じ、3.国民の祝日。があげられます。1の真西を仏教では西方浄土と呼び、極楽浄土への道しるべとなると考えらました。この日沈む太陽が示す極楽浄土への道を「白道」といい、仏の示してくれたこの白道を信じて進めば必ずそこへ至るという信仰が生まれました。ところで、二河白道の図は右側が海、左側が炎に包まれています。この日を境に暑さ寒さの分かれ目と考えれば、この図もより理解できます。次に2の昼と夜の長さですが、これは仏教の「中道」の精神の昼夜二分するという点で、この日がそれを表していると考えられています。補足ですが正確には天体上は昼と夜の長さは同じなのですが、日の出から日の入りまでヨーイドンと計測すると、大気の関係で昼の方が約一分長いそうです。3の国民の祝日ですが、法令には春分の日、秋分の日はそれぞれ「自然をたたえ、生物をいつくしむ」と「祖先をうやまいなくなった人をしのぶ」とかかれています。まさに仏教の主旨です。暑さ寒さも彼岸まで、今年は猛暑だったので、秋のお彼岸が来るのが待ち遠しいです。      一般的には太陽がちょうど、真西に沈むことから、西方浄土と関係づけて、彼岸会の仏事が行われるようになった。」とされています。もうひとつピンとこないので、金子先生の『彼岸の世界』という本をひらいてみると、『彼岸の世界とは光の国』と書かれています。その光とは日月の光ではなく、心の暗闇を照らすもの、これこそが、光の本質であるとおっしゃっています。礼拝は此世(此岸)を後にして、彼世(彼岸)の門を開くものであるともおっしゃっています。また、大阪の四天王寺さんでは彼岸の中日に太陽の沈む真西に向かい、礼拝するとききました。そういう話をまとめると、人々は太陽の沈む方向に仏を見、お菓子をお供えし、彼岸の仏様を想い、自分の心の闇を光で照らすように生きていくことをこの日に改めて目覚めるようにおまいりされるのではないでしょうか。一夜ずけにパラパラとめくって書きましたので、間違いがあればご容赦ください。 

 

また、京都では彼岸の中日に糯(もち)米の白蒸をつぶ餡やきな粉で包んだ和菓子を食べます。この和菓子は、春は牡丹の花が見ごろなのに合わせ、ぼたんもち(ぼたもち)、秋は萩が見ごろとなる時分なので、「おはぎ」と呼びます。                 春春分の日  自然をたたえ生物を慈しむ日とされている。  春彼岸  春分の日を中日とした前後三日ずつの7日間をひがんという。一般的に18日から24日まで「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉のとおり、暑さと寒さの境目であり、過ごしやすいきこうである。昼と夜の長さが同じで、太陽がちょうど、真西に沈むことから、西方浄土と関係づけて、彼岸会の仏事が行われるようになった。彼岸には先祖の墓に参り、墓の掃除をし、樒や花を供える。俳句で彼岸といった場合は、春の彼岸をさす。  秋おはぎ(ぼたもち)春と秋のお彼岸の中日には、糯(もち)米の白蒸をつぶ餡で包んだお菓子を作り、食べる。同じ和菓子でも、春と秋では呼び方が違う。春は、牡丹の花が見ごろなのに合わせ、ぼたんもち(ぼたもち)、秋は萩が見ごろとなる時分なので、「おはぎ」と呼ぶ。  秋分の日 昼と夜の長さが、ほぼ同じなる日。彼岸の中日でもある。先祖を敬い、亡くなった人を偲ぶ日とされている。  彼岸(真宗新辞典) 毎年、春分、秋分を中心に、それぞれ7日間にわたり、寺院において、読経、説教を行う法要をいう。仏教各宗に通じたわが国特有の行事、覚如は「二季の彼岸をもて念仏修行の時節とさだむる、いわれなき事」とした「改邪」  

お彼岸と名の付くものを上げると、彼岸桜(バラ科の落葉高木、栽培種、桜の一種春の彼岸のころに、薄紅色の花が開く。ひとえざくら。彼岸花(ヒガンバナ科の多年草、野原、あぜ道に群がってはえる。有毒植物。九月に茎をのばし赤色の美しい花を開く。まんじゅしゃげ、などがあげられます。春と秋にそれぞれひとつずつあり面白いですね。

            

私のお寺めぐり(第三回)

 東大寺 PART 2

  【宗派】華厳宗

  【所在地】奈良県奈良市雑司町406-1

3月1日から3月14日まで行われるお水取りは正式には東大寺修二会(しゅうにえ)と呼ばれ、『東大寺要録』によれば、二月堂を創建した実忠和上(じっちゅうわじょう)が天平勝宝四年(752)にはじめられ、以来一度も休むことなく行じられてきました。修二会は二月堂の本尊十一面観音に罪過(ざいか)を懺悔する行法で、有名なたいまつはこの行法に参加する僧(練行衆<れんぎょうしゅう>が参籠所(さんろうしょ)から上堂(じょうどう)するさいに行われます。10本(12日は11本)のたいまつは長い階段を登ってゆき、二月堂の欄干で火車のように回転させ、火の粉を飛び散らせます。そして、お水取りは13日の早朝に本堂の石段下にある若狭井から香水を汲みます。若狭国から水が通じているという伝説により、それで、お水取りといわれるのですが、これが終わると、関西地方では春がやってくると言い伝えられています。

 次に、東大寺境内の俊乗堂というお堂の中に高さ1mほどの快慶作の阿弥陀如来像があります。この像は別名『釘打の弥陀<くぎうちのみだ>』とよばれ、足の甲に釘で打ちつけた跡があります。奈良六大寺大観という書物によるとこれは『親鸞聖人が南都遊学の際に、この阿弥陀仏を信仰したが、帰京の際、仏が上人を慕い、あとを追ったので、寺僧が足止めのため、左足に釘を打ったところ、傷口から血が流れたという伝説である』と書かれています。この像は鎌倉時代の作で表面には截金が施されています。

 

おすすめ情報

時期『3月1~14修ニ会(しゅうにえ)お水取り、7月5日俊乗忌(俊乗堂ご開帳)』

仏像『俊乗堂 阿弥陀如来像、地蔵菩薩像 以上2体快慶作』