コラム
3月に奈良薬師寺で大講堂の落慶法要が行われました。35年前の昭和42年、高田好胤さん43歳、管長就任の時に念願の金堂再建復興の発願を誓われました。しかし、その復興には様々な難題が待ち受けておりました。それは建設資金、金堂を再建する宮大工の問題等です。まず高田管長は写経勧進という選択をされました。その当時、10万巻でも無理といわれたのに100万巻という目標を設定されました。高田好胤さんはタレント坊主と陰口をいわれてもメディアに出て、急速に写経の数を伸ばされて、建設資金を集められたのです。
次に宮大工の問題です。全国の宮大工を調査した結果その当時“法隆寺の鬼”と呼ばれた西岡常一氏が選ばれました。しかしながらお堂を再建するのに図面も何もありません。そこで、1300年前に建てられた東塔と薬師寺縁起の文献を元に図面が描かれました。その屋根の形の素晴らしさから“凍れる音楽”と称される東塔の実測調査は何と2年もかかったそうです。
こうして、昭和51年金堂は落慶し、続いて西塔がそしてこの度の大講堂が完成したのです。ここまでに35年の月日が流れています。西岡常一さん高田好胤さんと続いて既に亡くなられましたが、大講堂落慶という日を目の当たりにすると、お二人のご苦労を偲ばずにはいられません。亡くなられた時、高田好胤さんは写経勧進の講演8072回、写経は100万巻を遥かに超える600万巻、そしてこの大講堂落慶の時には700万巻に達しているそうです。
本坊の外の玄奘三蔵院に高田管長直筆の“不東”と書かれた額があります。これはインドに向かって求法の旅にでた三蔵法師が目的を果たすまでは東に位置するふる里には決して戻らないという意志の強さを表しています。また同時に高田管長にとっては薬師寺の白鳳伽藍復興を最後まで成し遂げようとする決意の表れでもあったのです。“思う一念、岩をも通す”まさに感動です。
仏具の話 珱珞(本願寺派)
本願寺派の場合、お宮殿屋根の隅に吊り下げられている仏具を珱珞といいます。本来は宝石や石などを紐でつないだアクセサリーで、笠の回りには蓮のつぼみが配されています。本山阿弥陀堂のお宮殿には隅珱珞という文字のとおり、各隅(かくすみ)の先にあります。したがって、計3対、6箇所です。一般寺院では手前の二ヶ所または一ヶ所のみ吊るす場合が多いです。瓔珞は木製またはプラスチック製に金箔押したものか、銅地に金メッキしたものと二種類あります。金メッキの方が価格は高くなります。お宮殿が金箔押してありますので、同じ金箔押しのものを選ばれることが多いです。
メインテナンスですが、金箔押しのものは、タコ糸で各部をつないでいるので、長年たつと、切れやすくなります。一方金メッキのものは、現在のものはステンレス線でつないであるので強いです。修復する場合、どちらもすべて外してつなぎ替えしますが、金箔押しの場合、新調するのとほぼ同じ、または高くなります。銅地金メッキの場合は安くなりますが。
金箔押しは紐がまだしっかりしていれば、業者に出してアク洗いしてもらい、はげた部分だけを箔直しすれば、かなりきれいになり安価で済みます。このような方法もありますので、もしヨーラクの部品が落ちた場合でも必要ですから残しておいて下さい。以上のように、修復される場合は思った以上に手間がかかりますので、早目に業者に出されることをお勧めします。