コラム・仏具の話(台座 御光編)/香華堂報49号[2004,02/01発行]

コラム(越前四箇本山の旅~PART1)
 正月休みに福井県、越前四箇本山(えちぜんしかほんざん)の真宗寺院におまいりしてきました。武生市の出雲路派毫摂寺(いずもじはごうしょうじ)様、鯖江市の誠照寺派誠照寺様(じょうしょうじはじょうしょうじ)様、山元派證誠寺(やまもとはしょうじょうじ)様そして福井市の三門徒派専照寺(さんもんとはせんしょうじ)様です。毫摂寺様は武生インターから10分位のところにあり、向かいにもお寺があり、寺内町という感じがしてとても雰囲気がいいです。各伽藍が大きく豪壮です。伽藍としては一番私が気に入ったのは鼓楼で、西本願寺飛雲閣のようなとても上品なつくりをしています。
 次に誠照寺様です。鯖江市の中心部に位置し、市街地の道沿いにあります。まず、山門の四足門(しそくもん)に注目しました。この門は俗に「鳥棲まずの門」と呼ばれ、その彫刻は左甚五郎作といわれているそうです。駆出しの龍や蛙股(かえるまた)の獅子の彫刻が素晴らしく、実在する動物のように迫力があるので、鳥が寄ってこないそうです。確かに鐘楼などは彫刻に鳥よけの網が張り巡らしてありましたが、この門には何もしていないのに、フンもなくきれいな状態で残っています。阿弥陀堂のご本尊は秘仏で入山記念日の8月15日に御開扉されているそうです。前立のご本尊がいらっしゃいます。このご本尊を御安置しているお宮殿が重層入母屋造り(じゅうそういりもやつくり)で大谷派の宮殿に本願寺派の枡組を組み合わせたような豪華なものですが、外陣からは見にくいです。私が、目を奪われたのは欄間です。特に御影堂の欄間は牡丹なのですが、それがこぼれ落ちそうなくらい大きく奥行きも深く彫られています。最近御修復されたようで、金箔も煌々しい光を放っていました。次号はPART2で證誠寺様、専照寺様のお話をしたいと思います。


仏具の話(台座 御光編)
今回は前回の仏像に続き、台座御光についてお話したいと思います。浄土真宗の御台座は六角型または八角型をしています。本山型の台座でいいますと、本願寺派は八角型、大谷派は六角型です。この他に五重座、七重座などの型がありますが、それぞれのお寺様によって形は様々です。台座の中でも、ご本尊を差し込む蓮の形をした蓮華は以前のものは純金箔押が多かったですが、現在は岩絵具で緑に彩色し、前回お話した金泥書きや截金で葉脈を描いていきます。この蓮華の葉一枚一枚を蓮弁といいますが、ご覧いただくと分かるように一段目、二段目そして三段目と半分の巾ずつずらして組まれています。この技法を魚のうろこ模様に似ているところから魚鱗式(ぎょりんしき)といいます。参考に均等に並んでいるのを「吹き寄せ式(ふきよせしき)」といい京都宇治の平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像にみることができます。
次に御光ですが、東西によって形状が大きく異なります。本願寺派は本山型の場合火炎光背といい板状のものですが、大谷派は中心にくるのは菖蒲巻きという棒状のもので、それに葉やつぼみが巻き付いています。本願寺派に比べ非常にシンプルな形といえます。光輪(こうりん)は大経四十八願から48本の光によって成り立っています。普段ご本尊の後ろ側にあって見にくいですが、浄土真宗のご本尊は他宗に比べ光輪を強調した「光」を中心とした仏像であるといえます。

コラム・仏具の話(仏像編)/香華堂報48号[2004,01/01発行]

コラム
 元西武の松井稼頭央選手がFA宣言し、大リーグのメッツに移籍することになりました。彼の座右の銘はなんと「感謝」。野球をさせてもらっている、グラウンドに立たせていただけることに感謝しているそうです。一見華やかに見える世界に生きる選手からそんな言葉が出てくるとは思わず、正直驚きました。
 「感謝」という言葉はよく耳にし、いつもしているつもりでいますが、心から実践しているのかと自問すると?マークが付きます。
 空気や水、木々などの自然に感謝→無くてはならないと思いつつ、あって当たり前の感も。
 肉、魚、野菜、日々私のエネルギーになる食べ物に感謝→食事前に「いただきます」は言うようにしていますが、忙しい時はいつの間にか食べ終わっている時も。
 お客様に感謝→いつも心がけていますが、本当に伝わっているかどうか不安な時も。
 ご先祖様に感謝→法事はつとめていますが、日々となると?
 家族に感謝→本当はこれが一番しなくちゃいけない大切なことなのですよね。しかし、簡単なようで難しい。たまに「ありがとう」なーんていうと「あんた熱あるんとちゃう」と突っ込まれることも。他にも相談にのってもらっている友達や先輩、後輩にも感謝しなきゃならないですよね。
 そして自分を振り返ってみると、誰かに感謝されることを去年はどれくらいしてきたでしょうか。
 当たり前ですが、感謝の気持ちを忘れずに持ち続け、さらに相手に伝えることって大変である反面、とても大事なことですよね。人から「ありがとう」と言われると、もっと役に立ちたい、頑張ろうと思えてくるから不思議です。新しい年を迎え、松井選手のように今年も一年、感謝の心を忘れず手を合わしていきたいものです。

仏具の話(仏像編)
2004年1回目のお話はご本尊お木像についてのお話です。浄土真宗のお木像は立像です。これは、同じ立像でも天台系の阿弥陀如来さまは片足を一歩踏み出した臨終来迎を表し、浄土真宗の阿弥陀さまは両足を揃え平成業成(へいぜいごうじょう)を表しています。寺院用仏像の眼(まなこ)は目の部分を刳り抜き、内側から水晶やガラスが嵌め込んであります。これを玉眼(ぎょくがん)といいます。これに対し外側から刳り抜かずに眼を彫る方法を彫眼(ちょうがん)といいます。小さな仏像や古い時代の仏像はこの技法がとられています。 
お衣は1枚の布がかかっているように見えますが、図1は座像ですが、ご覧いただくと2枚の布をお召しになっています。下の衣を「僧技支(そうぎし)」、上にかかっているのを「袈裟(けさ)」といいます。東西の大きな違いは袈裟の有無です。本願寺派は右肩に袈裟がないですが、大谷派は袈裟がかかっています。
 次に材質や技法についてお話しましょう。材質は寺院用の場合は檜や紅松が多く、その上に漆を塗り金箔を押している仏像(漆箔仏(しっぱくぶつ)ともいう)がほとんどです。漆箔仏にする場合はお顔や胸など袈裟がかかっていない肌の部分を肌粉(はだふん)という金粉仕上げにします。これはお顔を金箔で光らせるのではなく、その光を金粉で押さえ、優美な表情に仕上げるためです。
 お仏壇用も古くからある仏像は漆箔仏が多いですが、新調の場合は木地のままの仏像を好まれることが多くなってきました。この場合は前述した檜だけでなく、香木の白檀を使うことも多いです。ご存知のように檜は白っぽく、白檀は茶色っぽい色をしています。そして、白檀は特有のいい香りがして、お仏壇の中にご安置してあるだけで、お線香を上げずともいい香りが漂ってきます。
そして、さらに手を加える場合もあります。それは、金泥(きんでい)や截金(きりかね)仕上げです。金泥書きとは金粉を膠(にかわ)でとかし、細い筆で線を入れて行く技法、截金とは金箔を数枚貼りあわせたものを細く切り、模様を描いていく技法のことです。
次に製作工程についてです。よく観光地に行くと一刀彫りといって、1本の木を刳りぬいて彫った彫刻が素晴らしいと思われますが、寺院用の大きな仏像の場合寄木造りという技法がとられています。これは、頭、胴体、手、足と各部に分け、頭や胴体は内刳り(うちぐり)といって内側から木を刳り抜いて、それを合わせていく技法です。こうすることによって表面を薄くし、木の割れを少なくします。それ故、寺院用の仏像をもつと非常に軽いです。
今の私たちだけでなく、何代にもわたり手を合わせるお仏像です。仏師によってもお顔の表情が違いますから、新調される場合はその仏師さんの作品をご覧になり各お寺のご本尊のお顔を参考にして、作る際に申し上げたほういいでしょう。次回は台座、御光についてお話する予定です。

コラム・仏具の話(金灯籠きんとうろう 大谷派)/香華堂報47号[2003,12/01発行]

コラム
 紅葉のシーズンですね、この時期は一年のうちでも特に楽しみな季節でもあります。というのも、普段非公開の仏像やお堂などの一般公開が行われるからです。特に京都、奈良はそういうイベントが目白押しです。そういった寺々を訪問して思うのですが、真宗寺院にはみられないものがよくあります。大きなものですと五重の塔や観音堂、小さなものですと朱印やお守り護摩木などがあげられます。
 先日とあるお寺様の休憩所で休んでいると、近くのご婦人が「この前○○寺でお守りを買って、家内安全とお願いごとして帰ってきたら、足を骨折しちゃったわ。あのお寺にはもう二度と行かない。」と話しているのを耳にしました。私はびくっとしました。お守りを魔法の杖のように思われているのですね。人はお守りの効能を期待して買い求めますが、その反面、効かなかった場合の心の移ろいやすさを感じます。女心と秋の空ですね。
 しかしながら、他宗派でも個人的にいいなあと思うものもあります。私はお寺におまいりすると、必ずその各お寺の由来や仏像・仏具などがのったパンフレットを求めますが、唐招提寺でその巻末に朱印と寺号を書いてもらいました。朱印は西国三十三ヶ所霊場のものや、弘法大師八十八ヶ所巡りのものが有名ですが、何かしらそのお寺様をお伺いした記念になるようなものがあれば、旅行から帰ったあとも思い返して楽しみになります。唐招提寺の場合はこちらからお願いしてかいてもらった訳ではないですが、そのパンフレットを見ると日付も入っているので、何年前に行って寒かったなあなどと季節も思い出すことができます。真宗寺院の場合もご旧跡めぐりなどで何かしら記念になるようなものがあれば、おまいりするのも楽しみになるかもしれませんね。

金灯籠(きんとうろう)(大谷派)
 大谷派も同じく宮殿やお厨子の手前に1対吊るしてあるのが金灯籠です。一番上のたまねぎの形をした部分を擬宝珠(ぎぼし)、そしてその下の広くなった部分を笠、扉のある部分を火袋、そしてその下を足といいます。大きく四つの部品からできています。大谷派は本山も一般寺院もご門徒のお仏壇に至るまで丁足型のものを用います。
金灯籠の修復は金メッキと金箔押しにし直す方法がございます。現在のものがどちらの場合でもお好きな方法でし直すことができます。ただし金メッキの場合、注意しなければならないことがあります。メッキの水槽につけ電気処理するため、一番上の擬宝珠(ぎぼし)の内部が腐食していた場合、金メッキしたあとで、それが青さびとして出てくる場合があるのです。他の部品は真鍮または銅地の板からできた打物(うちもの)であるため、そのようにはなりません。が、擬宝珠(ぎぼし)の部分は多くが鋳物であるため、戦後すぐの金灯籠だと、良質なものがなく、このようなことになる場合もあります。
これを防ぐには、仏具店に実物を見てもらってから仕事にかかってもらえればいいのですが、専門の業者でもメッキの水槽につけなければ、分からない場合もあります。 その点、金箔押しの修復は電気処理せずに洗った金灯籠に金箔を押していきますから、このような心配はございません。

コラム・仏具の話(金灯籠かなとうろう 本願寺派)・ご本堂お仏具ご納入の報告/香華堂報46号[2003,11/01発行]

コラム
秋真っ盛りですねぇ。スポーツの秋、読書の秋、食欲の秋などと申しますが、私にとっては法要の秋でもあります。今年も各地で蓮如上人500回遠忌法要を勤められ、そのおかげで、当社も慌しくさせて頂いております。ありがたいことです。いつもその法要にお参りして思うことなのですが、法要のタイトルに“忌”という一般的には不祝儀の際に使われる言葉が入っているので、法事のように思われることが多く、黒のスーツに黒のネクタイという恰好で来られる方がいらっしゃることです。特に一般の方はお寺イコールお葬儀、不祝儀という図式で思われている方が多いです。
数年前に私の曾祖母の50回忌の法事をし、赤飯を頼んだお店に「紅白ののし紙でお願いします。」と言ったら、「えっー本当にいいんですか?」と聞き返されました。
御遠忌法要も祝賀の祭典のような“祝”という文字があれば一般の方も間違われないのかもしれません。これはちょっと極端かもしれませんが、当社のお客様で浄土真宗山元派のお寺様がこの春に御遠忌法要をする際、親鸞聖人750回報恩会法要(ほうおんえほうよう)と駒札に書かれて、法要を勤められました。私はいいネーミングだと思います。法要を勤める意義はその法要を勤める方を想い、今自分がここにあることを感謝すると聞いております。それが一周忌、三回忌などの時は衷心の気持ちで黒のネクタイ、そして50回忌を迎えたなら、50年の法事を勤めることができる自分が今ここにいる喜びを紅白ののし紙などで、お祝いを表すのでしょう。自分にとっての“喜びの法事”だと考えます。お寺の法要には有縁の方々が大勢あつまります。集まられる方がただ参加するだけでなく、自分にとっての喜びの法要として感じていただける、そんな法要になれば素敵ですね。

金灯籠(かなとうろう)(本願寺派)
 宮殿の手前に1対吊るしてあるのが金灯籠です。本来はご本尊のご面相(お顔)を照らすのに用いられていました。よって法要の際にはご本尊の方に扉を向けて開けます。現在では本堂に様々な照明器具が取り付けられ、お顔を照らすという役割は薄れつつありますが、電球が切れた際などは交換しにくく、手前(外陣側)に扉をされることも多いです。
高さはご本尊を照らす位置にしますが、四具足の燭台のローソクの灯や華瓶のしきみなどにも配慮して、お決めになられるとよいでしょう。足は丸みを帯びた猫足型のものと、真っ直ぐな蝶足型のものがあります。ご本山は両堂とも蝶足型のものを用いられていますが、一般寺院は猫足型を荘厳されていることが多いです。これは数十年前には,本山と同じ荘厳を遠慮するという理由からのようです。材質は主に銅地に金箔押しのものか、金メッキしたものです。お手入れは、金箔押し製も金メッキ製も軽く乾拭きする程度にして下さい。真鍮製仏具のように、真鍮磨き粉などは絶対に使用しないでください。金箔が取れるか、金メッキが剥がれてしまいます。最後に付属的なことなのですが、金灯籠を吊り下げる金具はJ字型をしていますが、それは前(外陣側)にくるようにしてください。これは、灯籠を前から掛けるのに便利なためです。

ご本堂お仏具ご納入の報告
この度和歌山の浄土真宗本願寺派浄専寺様と神戸の真宗大谷派常永寺様のご本堂お仏具一式納入の栄に浴し、さる10月26日に落慶法要を勤修されたので、写真とともに、ここにご報告いたします。このような大きなお仕事をさせていただいたことを、ご住職さまを初め、坊守様、総代様ご門徒の皆様他関係の皆様には心より御礼申し上げます。浄専寺様は戦火から、また常永寺様においては平成7年1月17日の阪神大震災から見事に復興されました。また、この場をお借りして、私を支えて下さった多くの職人さんにも御礼申し上げます。

コラム・仏具の話 上人卓(しょうにんじょく)、巡讃卓(じゅんさんじょく)、和讃卓(わさんじょく)/香華堂報45号[2003,10/01発行]

コラム
最近、ある職人さんに叱られたことがありました。私も暑さや忙しさでイライラしていたのでしょうか。口の聞き方が「買ってやっている」という感じだったようで、それについて注意されたのです。商売をしていく上で、様々な職人さんや業者さんは私にとっては大きな財産で、なくてはならない方ばかりです。しかしながら、売る側は商品を買ってもらおうと、仕事をさせてもらおうと必死です。ご年輩の方でも私のような弱輩ものに丁寧な敬語を使い、平身低頭で来られる方もいらっしゃいます。私も常に言葉使いには気を付けているつもりなのですが、叱られた時に「買ってやっている」という気持ちがなかったかと問われれば自信がないです。売る側からみれば、買う側のお客様はその取引によって日々の生活できるわけですから大切な存在です。だからお客様は神様かもしれません。一方買う側にも商品や仕事に対して吟味しなければなりませんが、相手側に発注して仕事をしてもらうことによって商売が成り立っていることに感謝しなければなりません。その時には忙しい、忙しいと言ってなぜ注意を受けなければならないのかと思っていました。しかしながら、忙しいという字は心を亡くすと書きます。私も心を見失っていたのかもしれません。
よく祖父が生前に言っていたそうです、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」。座右の銘としては古めかしいかもしれませんが、この言葉をお客様にはもちろんのことですが、買う立場の時に往々にして横柄になりがちな職人さんや業者さんに対してもその精神を持ち続け、そして、お客様に納品する時もそのような多くの人々のお陰であることを思いながら仕事しなければならないと感じました。

仏具の話
上人卓(しょうにんじょく)、巡讃卓(じゅんさんじょく)、和讃卓(わさんじょく)
内陣向畳(むこうじょう)の前に1対置くのが上人卓です。向畳は竪畳(たてじょう)よりも高くしてあるので、その畳の高さに合わせて上人卓には専用の黒塗りの台があります。一般的に前卓や祖師、御代卓はすべて木製の材質に金箔が施してありますが、上人卓は彫刻の部分が金具で出来ています。これは上人卓の大きな特徴です。
上人卓を置かない場合は内陣竪畳の祖師側、御代側に3脚ずつ置くのが和讃卓と巡讃卓です。一般的に面金の和讃卓を用いられますが、巡讃をされる場合、本来面朱の巡讃卓を用います。(面金(朱)とは面と面を切った部分が金(朱)色、すなわち面取り金(朱)からきています。)巡讃とは和讃を次々に上げることをいいます。三種類の卓は畳の釣り合いなどから巾は同じ1.6尺(48cm)になっています。そして移動の時は一番上の甲板(こういた)を持たず、下から持つようにしてください。なぜなら脚が一番上の甲板に接着しているため、長年経過しているものだとそれが外れる場合があるためです。他の仏具にもいえますが、この方法が仏具を長く使っていただくひとつの方法でもあります。

コラム・仏具の話(掛盤卓(かけばんじょく)、春日卓(かすがじょく)、経卓(きょうじょく))/香華堂報44号[2003,09/01発行]

コラム
お盆休みを利用して、浄土真宗最古の本堂である岐阜県高山市にある照蓮寺様へお参りに行ってきました。本堂は室町時代に建築されたもので、浄土真宗最古の建築遺構です。今から480年も前のことです。昭和35年までは飛騨・荘川村(しょうかわむら)にありましたが、ダム建設により、現在の高山城跡に移築されました。昭和31年には国の重要文化財にも指定されています。
 寺院としては珍しく住宅建築の書院造りになっています。外観の屋根のそりはゆるやかで美しい曲線であるのに対し、これで大丈夫?と思うくらいの細身で直線的な柱や建具が用いられています。柱や扉などに手を触れると、長きにわたってこの本堂を支えていることが手を通して感じることができます。本堂の内部は、現在の真宗寺院によく見られるご本尊が手前にせり出している後門柱と後門がある形式ではなく、ご本尊と両尊前が一列になっています。この形式は押板形式といわれ、現在の床の間の原型といわれています。簡素に見えますが、外陣でご本尊の前で手を合わすと気持ちも凛とします。そして、外陣と内陣の境に目を移すと、欄間はすべて筬欄間でその下は襖になっています。簡素な造りで、まさに道場という雰囲気です。
その後、近くの高山陣屋にも行ってきました。陣屋とは昔のお役所です。その中にこんな説明がありました。昔は家を建てる場合、陣屋にお伺いをたてて、許可をもらって家を新築したり改築したりしたそうです。それも古材を混ぜて建てたそうです。木は貴重だったのでしょうね。そんな言葉を耳にすると、いにしえの人々がいかに木に対しての畏敬の念をもっていたのかが分かります。
照蓮寺様もそのような苦労によって建築され保存され、今に至ったと思うと、よりこれから先も残っていただきたい日本の財産だと思います。


仏具の話
掛盤卓(かけばんじょく)、春日卓(かすがじょく)、経卓(きょうじょく)
内陣廻畳(まわりじょう)の祖師前側一席目と御代前側二席目に1対置くのが掛盤卓、春日卓です。御影堂型の掛盤卓は足の上の腰の部分に極彩色された蓮水の彫刻があり、阿弥陀堂型の春日卓はそれがなく簡素な形です。天場はいずれも黒塗りです。四方から見える位置に置くため、どの位置から見ても金箔が押してあります。このような卓を四方正面といいます。中尊前上卓や中尊前々前卓にもこのようなものがあります。卓の上には御和讃が入った和讃箱を置きます。なお、本山では廻畳より高さの高い向畳(むこうじょう)にこの卓を置くため、下台があります。それで、一般寺院向けにも黒塗りの下台があります。掛盤卓の名前のいわれは真宗以外でよく使う掛盤膳の足に形がよく似ていることからこの名が付いたと思われます。春日卓は古くからこの足の形を鷺足(さぎあし)といい、その形を真宗にも用いたように思われます。
三席目、四席目と続く場所には一般的な和讃卓を置きます。これは一般的な経卓を置かれることが多いです。この経卓は出し入れが頻繁にする仏具なので、お求めやすい普及品もございます。

コラム・仏具の話(寺院仏具 礼盤一式 大谷派)/香華堂報43号[2003,08/01発行]

コラム
 41号にもお知らせしたように、この度川越少年刑務所のお内仏をご修復し、納入させていただきました。初めて刑務所に足を踏み入れたときは、非常に緊張いたしました。やはり、独特な雰囲気があり、廊下では軍隊のように掛け声とともに歩かれています。お仕事をすることとなり、仏具をお預かりしご修復を進めて行く上で、ある教誨師の方から、“被収容者の中には一般の我々よりもご本尊の前で真剣な気持ちでおまいりをしているものがいる”というお話を聞いて、私もそれに応えるようなお仕事をしなければと思いました。ご修復を終え納入し、入仏慶讃法要が行われました。刑務所長様から「このきれいになったお内仏をおまいりし、被収容者がひとりでも多く更正することを願っています」とのお言葉をいただき、私も仕事のやりがいをひしひしと感受いたしました。また、本山の田中部長、吉田前教誨師の先生からは当店にねぎらいの言葉をいただき、心から感謝いたしております。この仕事を通じて感じたことは、刑務所という公(おおやけ)の場所では他の宗教の方々も教誨をされています。各地の刑務所では浄土真宗のお内仏が撤去されているという話も耳にします。そのような状況で今回ご修復を決断された教誨師の先生方のご苦労は大変だったと思います。ご存知のように教誨師の先生方はボランティアで教誨のお仕事を活動されています。浄土真宗の教えを伝えていくという強い気持ちがなければ、今回のご修復は成しえなかったでしょう。明治時代、つまり100年以上も前に本願寺派本山から寄付されたお内仏、そしてそれを守ってこられた先達と現教誨師のお心を忘れず今後も私も仕事を通して継承していきたいと強く思いました。


寺院仏具
礼盤一式(大谷派)
大谷派の礼盤の大きな特徴は前机と脇机の天板が金箔押しであることです。普段は、前机には巻経をおき、脇机には極彩色した持蓮華を置きます。登高座をするときには、前机にはお経箱、脇机には柄香炉を用います。磬台は本願寺派に比べ、彫刻もなくシンプルな作りになっています。
 大谷派も御影堂型と阿弥陀堂型の二種類あります。前回、阿弥陀堂と名の付く仏具のほうが豪華なものが多いとお話しましたが、この礼盤一式に関しては御影堂型の方が、豪華です。これは御影堂で登高座をする儀式が多く行われたためではないかと思われます。
 礼盤一式はご存知のように、法要時のみにしか用いません。そのため、購入時などに専用のダンボール箱を用意して欲しいとのご要望をよくお聞きします。今、手元にお持ちの場合でも礼盤一式の各寸法を知らせていただくと、その寸法に見合った箱を製作いたします。 法要時などの晴れ舞台での登高座、大切に長く使いたいですね。
礼盤一式(大谷派)
大谷派の礼盤の大きな特徴は前机と脇机の天板が金箔押しであることです。また、前机には浄土三部経を経箱の入れて置きます。このお経は荘経(かざりきょう)といい何も書かれていません。たまに、お経がかかれていると思い、紐解かれる場合がありますが、元通りにならないので注意して下さい。脇机は柄香炉を置き塗香器は用いません。登高座するときには柄香炉を用いますが、それ以外は極彩色した持蓮華という荘り用の柄香炉を置きます。磬台は本願寺派に比べ、彫刻もなくシンプルな作りになっています。
 大谷派も御影堂型と阿弥陀堂型の二種類あります。前回、阿弥陀堂と名の付く仏具のほうが豪華なものが多いとお話しましたが、この礼盤一式に関しては御影堂型の方が、豪華です。これは御影堂で登高座をする儀式が多く行われたためではないかと思われます。
 礼盤一式はご存知のように、法要時のみにしか用いません。そのため、購入時などに専用のダンボール箱を用意して欲しいとのご要望をよくお聞きします。今、手元にお持ちの場合でも礼盤一式の各寸法を知らせていただくと、その寸法に見合った箱を製作いたします。 法要時などの晴れ舞台での登高座、大切に長く使われたいですよね。

コラム・仏具の話(礼盤一式 本願寺派)/香華堂報42号[2003,07/01発行]

コラム 商売人へのおまいりのススメ

商売の秘訣、なかなかムツカシイです。故松下幸之助氏は「雨が降ったら傘をさす」と答えられたそうです。そうです、傘をさせば、濡れずにすみます。これは自然の理(ことわり)で、どんなことにも当てはまるのではないかと仰っています。商売においては、お客様からいわれた注文にお応えし、商品を納める。自然なことなのですが、そういう当たり前のことを確実にすること、それこそが商売の秘訣かもしれません。
 それに加えて、私の祖父はよく「打てば響く太鼓のように、すぐに返事をする。」これを口ぐせのように言ってたそうです。すぐに返事が返ってくるというのは逆の立場でも気持ちがいいものです。
私はこのような言葉を本や親を通して読んだり聞いたりして、自分自身も実践するよう心がけています。なかなか続けられませんが。
そして、私も私なりの商売の秘訣を考えました。それは、お仏壇に手を合わせるということです。といっても、仏を頼み商売がうまくいくようにお祈りするということではありません。順調よく仕事をしていても、人は次第に欲がでてきて、今以上に大きなことを望んだり、違う分野まで手を広げようとします。それが、お客様に対しての応対が不充分になると思うのです。私も商売人の一人として、自分を常に戒め、おごらず、お客様ひとりひとりに感謝の気持ちを持ち続けるにはどうしたらよいか考えることがあります。その答えが、仏壇におまいりすることではないかと思うのです。なぜなら、手を合わして頭を下げるということは、相手に対して自分をへりくだるということですから、毎日おまいりをしていると、その気持ちが仕事の上でも表れるのではないかと思います。“お線香に火をつけておまいりする”、私の商売の一日はここから始まります。

 


寺院仏具
礼盤一式(本願寺派)
法要の際に中尊前の前卓の手前に置くのが礼盤一式です。礼盤とは導師が座る畳の台をさす言葉で向こう側に置く卓を向卓、左脇にある卓を脇卓といいます。そして、右にある磬を吊るしたものを、磬台(けいだい)といいます。向卓(むこうじょく)には立経台を置いて浄土三部経を立てます。脇卓(わきじょく)は柄香炉と塗香器を置きます。向卓と脇卓を簡単に見分ける方法は、向卓はお経を置くため脇卓よりも高いですが、脇卓は細長い柄香炉を置くので巾が広いです。種類としては、黒を基調とした阿弥陀堂型と金を基調とした御影堂型とがあります。一般的に、阿弥陀堂型と名の付く方が仏様を荘厳する仏具ということで御影堂型よりも豪華なものが多いです。礼盤一式も阿弥陀堂型は青貝を配した豪華なものですし、御影堂型は金箔を施したきらびやかな仏具です。
 礼盤を購入される時の注意点として、内陣の奥行きが重要です。須弥壇と前卓を引いた残りの部分を計り、向卓、礼盤の寸法そして手前に人が立つ寸法です。また、前卓と須弥壇を引っ付けるのかどうかによってスペースの余り具合は変ってきます。また、最近は背の高い方が増えてきましたので、礼盤の横幅が標準ですと2.1尺、(63cm)なので、座った時に足がはみ出さないかどうか見る必要があります。高価なものですので、慎重にご検討されるといいでしょう。

コラム・仏具の話(珱珞 大谷派)・川越少年刑務所お内仏ご修復/香華堂報41号[2003,06/01発行]

コラム   
 最近、寺院建築の趣味が高じて、近代建築にも興味を持つようになりました。そこで、今話題の建築家、安藤忠雄氏設計の光の教会へ行ってきました。外壁はコンクリートですが、大きな特徴として、十字架が少し変わっていて、外壁が大きく十字に切られ、その部分にガラスがはめこまれています。つまり、窓の部分(開きませんが)が十字になっています。この日は天気がよく、陽の光が教会の中にも明るく差し込んでいました。そして、その十字架のすぐ手前に演台があります。最近の近代建築の寺院にもいくつかみられることですが、礼拝施設に三つの共通点があるように思います。その①は天井が高いこと、②は外光、つまり、太陽の光を採りいれていること、③は礼拝する中心が見下ろす位置にあること(階段またはスロープになっている)、この他に椅子式や、コンクリートを使用している等ありますが、大きな特徴はこの三つだと思います。①の天井が高いということはそれだけで、おおらかな気持ちにさせてくれます。②の外光を取り入れるということは、やはり、どんな照明をもってしても、太陽の光にはかないません。内部に温かい雰囲気をもたらしてくれます。それと洋の東西を問わず、太陽の光を中心にすることはよくあります。③は新しくなった東本願寺参拝接待所や大谷大学講堂にも見られます。礼拝する場所を見下ろす位置にあるということは賛否両論ありますが、見下ろすので先生がよく見え、楽に話が聞けること、また、終わってからも先生の下(もと)へ向かいやすい点などがあげられます。それと、奥に細長い様式は他のお参りする方々が見え、何かしら一体感があります。春休みだったこともあり、たくさんの若者が来ていました。私は木造建築こそが1000年以上続いた日本の伝統で素晴らしいものだと思っておりますが、こんなにも近代建築に魅せられた人々がいることに驚きました。

 

仏具の話 珱珞(大谷派)

大谷派は輪灯の上に珱珞を吊るします。このため、珱珞を注文する場合輪灯の図①の寸法が必要です。材質としては現在銅地に金メッキしたものしかございません。以前、木製のものもございましたが、現在は製造しておりません。ご修復ですと可能な場合もありますので、業者にお問合せください。笠は二重のものと三重のものがあります。三重のものは豪華ですが、天井が低いと吊るすことができません。また二重のものを三重にすることも可能です。また珱珞の中心を通っている竿ですが平たい平竿(ひらざお)と丸い丸竿(まるざお)とがあります。どちらも龍が巻きついています。
メインテナンスですが、銅地ですから金メッキでやり直しすることが可能です。修復する場合、すべて外してステンレス線でつなぎ替えします。落ちて紛失してしまったら新たな部品を足しますが以前のものと形や彫金などが異なる場合がありますので、落ちてしまった部品も大切に保管してください。大谷派は本来珱珞を、法要時とそうでない場合付けたり外したりしますが、外しても横にしないで下さい。横にすると切れたり傷みの原因となります。図②のように洋服掛けに吊るして布を掛けられるといいでしょう。蓮如上人ご遠忌には御代前にもされますのでご用意される場合はお早めに。

しっかりしていれば、業者に出してアク洗いしてもらい、はげた部分だけを箔直しすれば、かなりきれいになり安価で済みます。このような方法もありますので、もしヨーラクの部品が落ちた場合でも必要ですから残しておいて下さい。以上のように、修復される場合は思った以上に手間がかかりますので、早目に業者に出されることをお勧めします。

 

川越少年刑務所お内仏ご修復
この度、川越少年刑務所のお内仏ご修復を行い、納入いたしましたので、ここにご報告いたします。このお内仏のご本尊は明治27(1827)年に浄土真宗本願寺派本山から寄付されたものです。この度当社にご下命をいただき、光栄に存じております。教誨師の先生方はじめ、関係者の皆々様に心より御礼申しあげます。

コラム・仏具の話 珱珞(本願寺派)/香華堂報40号[2003,05/01発行]

コラム
 3月に奈良薬師寺で大講堂の落慶法要が行われました。35年前の昭和42年、高田好胤さん43歳、管長就任の時に念願の金堂再建復興の発願を誓われました。しかし、その復興には様々な難題が待ち受けておりました。それは建設資金、金堂を再建する宮大工の問題等です。まず高田管長は写経勧進という選択をされました。その当時、10万巻でも無理といわれたのに100万巻という目標を設定されました。高田好胤さんはタレント坊主と陰口をいわれてもメディアに出て、急速に写経の数を伸ばされて、建設資金を集められたのです。
 次に宮大工の問題です。全国の宮大工を調査した結果その当時“法隆寺の鬼”と呼ばれた西岡常一氏が選ばれました。しかしながらお堂を再建するのに図面も何もありません。そこで、1300年前に建てられた東塔と薬師寺縁起の文献を元に図面が描かれました。その屋根の形の素晴らしさから“凍れる音楽”と称される東塔の実測調査は何と2年もかかったそうです。
こうして、昭和51年金堂は落慶し、続いて西塔がそしてこの度の大講堂が完成したのです。ここまでに35年の月日が流れています。西岡常一さん高田好胤さんと続いて既に亡くなられましたが、大講堂落慶という日を目の当たりにすると、お二人のご苦労を偲ばずにはいられません。亡くなられた時、高田好胤さんは写経勧進の講演8072回、写経は100万巻を遥かに超える600万巻、そしてこの大講堂落慶の時には700万巻に達しているそうです。
 本坊の外の玄奘三蔵院に高田管長直筆の“不東”と書かれた額があります。これはインドに向かって求法の旅にでた三蔵法師が目的を果たすまでは東に位置するふる里には決して戻らないという意志の強さを表しています。また同時に高田管長にとっては薬師寺の白鳳伽藍復興を最後まで成し遂げようとする決意の表れでもあったのです。“思う一念、岩をも通す”まさに感動です。

 

仏具の話 珱珞(本願寺派)

本願寺派の場合、お宮殿屋根の隅に吊り下げられている仏具を珱珞といいます。本来は宝石や石などを紐でつないだアクセサリーで、笠の回りには蓮のつぼみが配されています。本山阿弥陀堂のお宮殿には隅珱珞という文字のとおり、各隅(かくすみ)の先にあります。したがって、計3対、6箇所です。一般寺院では手前の二ヶ所または一ヶ所のみ吊るす場合が多いです。瓔珞は木製またはプラスチック製に金箔押したものか、銅地に金メッキしたものと二種類あります。金メッキの方が価格は高くなります。お宮殿が金箔押してありますので、同じ金箔押しのものを選ばれることが多いです。
メインテナンスですが、金箔押しのものは、タコ糸で各部をつないでいるので、長年たつと、切れやすくなります。一方金メッキのものは、現在のものはステンレス線でつないであるので強いです。修復する場合、どちらもすべて外してつなぎ替えしますが、金箔押しの場合、新調するのとほぼ同じ、または高くなります。銅地金メッキの場合は安くなりますが。
金箔押しは紐がまだしっかりしていれば、業者に出してアク洗いしてもらい、はげた部分だけを箔直しすれば、かなりきれいになり安価で済みます。このような方法もありますので、もしヨーラクの部品が落ちた場合でも必要ですから残しておいて下さい。以上のように、修復される場合は思った以上に手間がかかりますので、早目に業者に出されることをお勧めします。